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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
昨日の高校生の国語の指導での話です。
定期テスト対策の問題集で、中島敦の『名人伝』の一部が取り上げられていました。
天下一の弓の名手たらんとした紀昌は、老名人の門を敲きます。しかし、老名人から、お前の弓は所詮“射の射”(リアルに弓を引いて獲物を射抜くだけ)に過ぎないと言われてしまいます。そして、老名人は、悔しがる紀昌を尻目に、崖上から弓を使わずに天空の鳶をやすやすと射抜いてみせました。
紀昌は、老名人の下に留まり、九年の修行を経て、この“不射の射”(まったく弓矢を使わずに獲物を射抜くこと)を体得します。
都に帰ったのち、紀昌の名声は、もはや弓を持って見せる必要もないまでに高まります。ところが、……。
話の結末は伏せますが、この問題演習を一頻り終えた後、塾長は“無絃(弦)の琴”について補足のコメントをしました。(こういう補足をその場でできるかどうかが、『学びの庭』の他塾とは異なる優れた点です。申し訳ありませんが、そんじょそこらの塾には逆立ちをしてもできないと自負しております。)
“無絃(弦)の琴”とは、夏目漱石『草枕』や鴨長明『発心集』などにも引用されている、陶淵明の逸話です。
詳しいことは、どうぞお調べになってください。
さて、実は、塾長がこのことを即座にコメントできたのは、娘の高校時代に書いた小説『絶弦』(長野県の文芸コンクールで最優秀賞をいただいています。)があったからです。
こちらは『呂氏春秋』を基にしたなかなか立派な小説なのですが、そのなかにも布に包まれた琴が描かれており、もしそれが“無絃(弦)の琴”であったなら……、と、塾長の想像をかき立てたのです。当時、その点を作者本人に語ったところ、即座に「『名人伝』の紀昌を思い出した」との返答をもらったということがありました。娘は当然中島敦の『山月記』『文字禍』『名人伝』等は読んでおり、即座に“無絃(弦)の琴”と“不射の射”が結びついたようでした。トポロジカルな変換に塾長も舌を巻いた出来事でした。ですから、塾長が逆に“不射の射”から“無絃(弦)の琴”についてコメントできたのは、実は娘のおかげだったわけです。(なあ~んだ。。。)
何にしろ、万巻の書を繙く。機に応じて、ものを考える材料とする。とても大切なことですね。
※ちなみに、塾長の娘の小説『絶弦』は、塾長が主宰しているミニプレス《書肆(しょし)半影(はんえい)》より文庫本で出版されています。(税込660円)
興味のおありの方は、塾あてにメールでご連絡ください。