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夏目漱石『こゝろ』、再読。

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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。

 

中1クラスの塾生たちが、夏目漱石『坊っちゃん』『こゝろ』を読んでいるという話は、先日この塾長日記でお話ししました。[2023/03/06付]

塾長自身は、中2の冬に『こゝろ』を耽読したことを覚えています。(『坊っちゃん』については、失念しました。)

そこで、——ということでもないのですが、——じつにx年ぶりに、『こゝろ』を再読してみました。

もともと、半年ほど前、高校生国語のテスト対策として漱石『こゝろ』(部分)の読解を手助けしたことがあったのですが、そのときに「私は鉛のような飯を食いました」など、

 

「漱石の比喩表現は実に的確だなぁ…」

 

と感心していたので、近いうちに再読したいと思っていたのです。

さて、そして今回、上・中・下と通読して、まず思ったことは、

 

「自分は中2の当時、どの登場人物に感情移入して読み耽っていたのかなぁ…」

 

ということでした。

上・中における「私」(青年)だったでしょうか。

下における「私」(先生)だったでしょうか。

それとも、下でようやく実像として現れるK(先生の親友)だったでしょうか。

いえ、下で先生の遺書を読んでいる「私」(青年)だったでしょうか。[←この立ち位置が読者に一番近い。]

 

現在、ほとんどすべての出版社の国語の教科書に載っている、所謂“名作”といわれる小説は、ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』にせよ、太宰治『走れメロス』にせよ、芥川龍之介『羅生門』にせよ、この夏目漱石『こころ』にせよ、すべて、男性が主人公ないし主要登場人物です。女子生徒の皆さんは、どう感情移入をしているのでしょうか。

また、もし他者の思考や感情を深く理解することが学校教育における小説読解の一つの意義であるとすれば、男子生徒にも女性が主人公ないし主要登場人物の所謂“名作”を、もっと積極的に読む機会が与えられるべきなのではないでしょうか。(昨今のジェンダー理論からいうと、ずいぶんと大雑把な言い方で申し訳ないですが…。)

 

 

次に、驚いたことです。『こゝろ』においては、例の(?)有名な文言は、微妙に形を変えるなどして、4度も言われていました。すなわち、

 

・精神的に向上心ないものは馬鹿だ

・精神的に向上心のないものは馬鹿だ

・精神的に向上心のないものは馬鹿だ

・精神的に向上心のないものは馬鹿だ

 

こうやって並べると、なかなかに厳しい、あたかも鉄槌や楔を打ち込まれるような言葉です。

 

♬ (以下、所謂ネタバレあり。)

 

また、『こゝろ』が、こんなにもあからさまにアンチ・クライマックスの物語であったのかということにも、今更ながら気づきました。先生の死も、Kの死も、前もって明かされていたり、伏線が張られていたりします。そうした点に関しても、やはり、漱石の比喩(ここでは隠喩=メタファー)は卓抜なのです。

たとえば、「覚悟」という言葉が出てきた後での、先生とKが散歩する公園でのこうした描写です。

 

ことに霜に打たれて蒼みを失ったの木立の茶褐色が、薄い空の中に、梢を並べて聳えているのを振り返って見た時は、寒さが脊中へ嚙り付いたような心持がしました。(下・四十二)

 

もちろん、これは先生がKを理詰めで追いつめた後ろめたさが寒々しさとともに描出されていると読み取れる一文です。ですが、なぜ、杉の木立なのでしょうか。塾長は、個人的には、ここに《杉→糸杉→墓所→死》の暗示を読み取りました。つまり、実はKは内心では、(先生が予想しているような、恋愛を捨て道を究める覚悟ではなく)、すでに死ぬ覚悟をしているのだ、と。杉(cedar)と糸杉(cypress)は違うではないかとすぐに反論されそうですが、ここで漱石がおいそれと糸杉を出すわけにはいきません。なぜなら、糸杉は外来種の植物だからです。糸杉の持つ喪や墓や死の意味合いは、当時の日本では、杉に背負わせるしかありません。

引用したこの一文では、様々な色彩の言葉が並びますが、重要なものは〈黒〉であると考えられます。杉の叙述の後に〈薄暗い〉ではなくわざわざ〈薄い〉という言葉の字面を使うことによって、Kの死や彼の思想的な闇が、重ねて暗示されているようにも思われます。夜に座敷でぬっと立ち尽くすKの影法師の場面は、このすぐ後です。

 

見ると、間の襖が二尺ばかり開いて、其所にKの黒い影が立っています。(下・四十三)

 

私は黒い影法師のようなKに向って、何か用かと聞き返しました。(同)

 

ここでも、〈黒〉が、Kの背負っているものを強く暗示しています。

さらに、Kの自死のあとでは、〈黒い光〉という対照的な表現も見られます。

 

もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫ぬいて、一瞬間に私の前に横わる全生涯を物凄く照らしました。(下・四十八)

 

翻って、上で先生と「私」(青年)が郊外の植木屋まで散歩をするくだりでも、のことが語られていました。

 

細い苗の頂に投げ被せてあった先生の帽子が風に吹かれて落ちた。(上・二十六)

 

ということは、のメタファーは単にKの死だけではなく、来たるべき先生の死をもすでに暗示していたのでしょうか。

おそらくこの辺りについては多くの論文があるでしょうから詳細は碩学の徒に任せるとして、とりあえず、今回の雑感はここで擱筆することとします。塾長としては、さらに関連書を繙いていければと考えています。

塾生の皆さんの感想もお教えください。

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