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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
先の日曜日、長野漱石会に参加してまいりました。
今回のテーマは、「漱石門下の三人、岩波茂雄・安倍能成・中勘助」でした。
この三人は、それぞれ、藤村操の華厳の滝への投身自殺(1903年、明治36年)に刺激され、一時期、野尻湖で独り、自己と向き合ったそうです。それぞれ、『思い出の野尻湖』(岩波茂雄)、『野尻湖日記』(安倍能成)、『島守』(中勘助)という文章がのこっています。
一高で漱石の教え子でも会った藤村操(男ですよ、当然。)は、所謂知的エリートが立身出世を目指す第一世代の次の世代に当たり、内向的思索と煩悶の末、自ら死を選ぶという、悲劇的結論に達しました。
後を追うように華厳の滝で自殺をしようとする知的エリートたちが百何十名、実際に死に至った者が四十名にも達したというのですから、その影響たるや、すさまじいものがあります。
現代人は、ここまで深く深刻にものを考えることができるのでしょうか。
いかがでしょうか。
万有の真相は唯一言にして悉す曰く「不可解」。
我この恨を懐て煩悶終に死を決するに至る。
(巌頭之感より)
塾長からすると、この一文目と二分目の間には論理的飛躍があり、若者よ、早まったな、との印象が拭えません。
しかし、その煩悶の深さだけは真摯に慮り、受け止めたいと思います。
数えにして十八歳。満の年齢では十六歳だったといいます。
十六にしてこれだけの思索ができるのであれば、あと十年、二十年、……思索を続けていけば、「不可解」な中にも、何かしらの光明を見出しえたかもしれないと思うと、残念で仕方ありません。
温故知新。
皆さんも、調べ、考えてみてください。