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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
おかげさまで、本年も無事に授業おさめができました。この場を借りて、関係者各位に感謝申し上げます。ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
さて、昨日の最後の中2国語授業(冬期講習)で扱った随筆文・俵万智「短歌の翻訳」に、面白いことが書いてありましたので、ご紹介します。単に与えられた演習問題をこなすだけではなく、こんな風に生徒さんと深めてみました。
まず、一通りの読解・解説を終えた後、塾長は次のような追加の記述問題を提示しました。(こうしたことがすかさずできる小回りの良さが、当塾の魅力でもあります。) そして、生徒さんたちから、いくつかの答えを得ました。
問い … なぜ筆者は自分の歌集を翻訳してもらうときに「なるべく、あなたの国の言葉で、リズミカルに感じる言葉を(言葉の組み合わせを)選んでください」とお願いしたのか。三十字以内で答えよ。
解答例① … 「意味」よりも「韻律」のほうが短歌には大切だと考えたから。(29字)
解答例② … 言葉に艶を与え読む人の心の奥深くに詩を届けるのが韻律だから。(30字)
どちらの解答例も優れていると思います。要するに、俵万智の言に従うならば、短歌にとって、「韻律」は《命》なのですね。
さらに、このことと関連して(年末の授業おさめのオマケとして?)、本文中でも触れられていた上田敏の翻訳によるヴェルレーヌの詩(「落ち葉」原題:Chanson d’automne)を、対訳の形で電子黒板に映し出し、どう韻律が作られているのかを、生徒さんたちに紹介しました。塾長の音読つきで、こんな感じです。
Les sanglots longs 秋の日の
Des violons ヸオロンの
De l’automne ためいきの
Blessent mon cœur 身にしみて
D’une langueur ひたぶるに
Monotone. うら悲し
【以下略】
ヴェルレーヌの原詩は、1行目と2行目の末尾、4行目と5行目の末尾、そして、3行目と6行目の末尾で、韻を踏んでいます。
このあたりの細かい分析は多くの専門家がいらっしゃるでしょうからそちらに譲りますが、なかなか面白いところで韻を踏みますよね。堀口大學や金子光晴など、様々な人が翻訳しているので、比べてみるのも愉しそうです。(英訳なども探してみたら、さらに広がりますね。)
俵万智は、昔に塾長が読んだ時の記憶では、S音での頭韻を好む傾向があるように感じていました。生徒さんたちにそのことを伝えると、驚いたことに、間髪入れずに、「レイチェル・カーソンの『Silent Spring』も、S音の頭韻ですね」と言ってきた生徒さんがいました。この応用力や検索能力の高さには、塾長も舌を巻いてしまいました。
…とはいえ、生徒さんたちの多くにとっては、上田敏の訳詩の「ヸ」ないし「ヰ」というカタカナは何と読むのか、ひらがなではどう書くのか、といったことのほうが興味深かったようですが…。