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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
夏期講習もハーフ・タイム。久し振りの休日です。
以前に購入して“積読”になってしまっていた小説を読みました。
こちらもたった1日で読んでしまいました。
佐々木敦『半睡』
(書肆侃々房)
なかなかトリッキーで面白い作品でした。
冒頭は、プルーストの『失われた時を求めて』のパロディ。
2月29日が誕生日と思しき老作家。
この作家によって、まずドイツ語で書かれ、それを英語に翻訳し、さらに日本語に翻訳した小説、『フォー・スリープレス・ナイト』。
また、この作家の誕生日に、イヴェントで対談の相手をした出版社勤務の男。
この男によって、その翌日からの10日間で書かれた手記の体裁を持つこの小説、『半睡』。
最後には3月11日という東日本大震災の日付。
中では、2001年9月11日の同時多発テロを思わせる描出。
チェルノブイリの原発事故。
マイケル・ジャクソンの事件。
……。
半睡というのは、demi-sommeil(しばしば半眠と和訳される)のことですね。
まさしく、プルースト的主題です。(あるいは、このテーマの嚆矢はジェラール・ドゥ・ネルヴァルですか。)
『フォー・スリープレス・ナイト』で語られるフィクションの中も含めて、不眠に悩む数々の登場人物が出てきます。
しかも、フィクションは小説だけではありません。
演劇や映画やマンガも、その内部で不眠のことが取り沙汰されるのです。
ひとつだけ、ディテールを紹介。
老作家Y・Yによる『フォー・スリープレス・ナイト』のなかでの老主人公の若き日の回想。
大学時代、自分の下宿に友人が血相を変えて駆け込んでくる。彼女が失踪した、と。
失踪した彼女が部屋に残したペーパーバックの開かれた頁には、三つの英単語に赤ペンで丸印がつけられていた。
つなぎ合わせると、《私はどこにもいない》。
先輩から借りた分不相応な左ハンドルの車を駆って、彼女を探しに彼女の友人宅や夜の繁華街を徘徊する彼氏と私の顛末は、あたかもレイモン・チャンドラーばりのハードボイルドな香りを放つ。(いや、塾長はどちらかというとウィリアム・アイリッシュの『暁の死線』のように感じたけれども。)
だが、朝になっても彼女の居場所を突き止めることはできない。というのも、……。
実は、赤ペンで囲われた英単語をつぎはぎをし直すと、実は、《私は今ここにいる》。
塾生の皆さん、どんな英語だか、分かりますよね?
ああ、この作家・佐々木敦という人は、普段から、ゴダールやリヴェットの映画とか筒井康隆やパラフィクションとかを論じたり、『私は小説である』『これは小説ではない』『それを小説とよぶ』といった書籍を上梓したりと、……つまりは、そういう人なのですね。
なるほど。
一筋縄ではいかない、それゆえに、読書の愉悦に浸りつつ、謎解きを(何が謎かを捉えるところも含めて)楽しめる、充実の一冊でした。