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批判する漱石。

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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。

 

昨日は、長野漱石会の講演を聞きに行ってまいりました。

 

 夏目漱石と三島由紀夫

   上田女子短期大学教授 長田真紀先生

 

大変に興味深い話でした。

大きく二つのポイントがありました。

 

一つ目。

二人とも、戦後文学者であった、ということ。

漱石は日清・日露戦争後。

三島は太平洋戦争後。

 

二つ目。

二人とも、近代の日本を批判的・否定的に見ていた、ということ。

 

他、複雑な家庭環境に育ったことなども、共通項として挙げていらっしゃいました。

 

特に、二つ目のことに関して、塾長はいろいろなことを考えてしまいました。

夏目漱石に関して、塾長の見立ては、学生時代より一貫して、彼の小説はどれも《近代的自我の袋小路》を描いて見せたものである、というものです。特に後期の、『行人』『こゝろ』『明暗』などは、強くそうであるといえることでしょう。

その意味でも、漱石はたしかに近代を批判的・悲観的に見ていたといえます。

今回の講演でも引用されていたのは、明治44年の夏目漱石の講演『現代日本の開化』より、次のような文言です。

 

我々の遣っている事は内発的ではない、外発的である 

現代日本の開化は皮相上滑りの開化である

外国人に対して乃公(おれ)の国には富士山があると云うやうな馬鹿は今日は余り云はない様だが、戦争以後一等国になつたんだといふ高慢な声は随所に聞くやふである、中々気楽な見方をすれば出来るものだと思ひます

 

特に、最後の文言は、『三四郎』の冒頭の場面、熊本から上京する三四郎と一緒に列車に乗り合わせた広田先生が会話を交わす場面を思わせます。

まさに明治44年の講演会における漱石の意見は、広田先生の意見と一致しているといえます。つまり、近代日本には、誇るべきものなどない、広田先生(=漱石)曰く、「亡びるね」という結論に達してしまいます。

しかし、そうだとすると、『こゝろ』のなかで言われる、「明治の精神は天皇に始まつて天皇に終はつた」というときの明治の精神とは、その文明開化において外発的で皮相上滑りのものなのですから、批判すべきもの、悲観すべきもの、悪しきものだったはずで、それを天皇に始まって天皇に終わったなどといってしまってもよいものなのでしょうか。

これはなかなか面白い問題ではないでしょうか。

おそらく、漱石の明治観(近代観)には、両義的(アンヴィバレント)なものがあるのだといえるでしょう。

今回の講演で、長田真紀先生は、『夢十夜』の第六夜と第七夜を引用していました。

第六夜では、「遂に明治の木には到底仁王は埋つてゐないものと悟った」と、語り手は、明治の人間は空っぽになってしまったことを慨嘆する。

しかし、第七夜では(おそらく明治時代の日本の比喩であろう)「大きな船」から、飛び込み自殺をはかった主人公は、「矢つ張り乗つて居る方がよかつた」「無限の後悔と恐怖」を感じている。

つまり、……

明治時代にいくら批判的であろうとも、その時代に生きている以上、それを否定することはできないということなのでしょう。

漱石は、そうした、批判的側面をも含み込んだ、良くも悪くも「明治時代」の精神全体を、「明治天皇」という国家元首を象徴に見て、「明治の精神は……」といったのでしょう。表層的な開化が行われようとも、そこを貫く御皇室の存在を、漱石は日本の近代精神の縦軸として見て取っていたと考えられます。

 

なるほど、明治の精神という護送船から飛び込み自殺をする『夢十夜』の第七話の主人公は、明治の精神とともに死を選んだ乃木希典大将や、『こゝろ』の「先生」とも重ね合わされていたのですね。死の瞬間、「先生」も、無限の後悔と恐怖を感じたのでしょうか。

 

 

さて、それに対して、三島由紀夫の場合はどうでしょうか。

 

(長くなりましたので、次回に譲ります。乞う、ご期待のほど。)

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