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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
今回は、前回からの続きです。
さて、では、三島由紀夫の場合はどうでしょうか。
講演を聞いて、塾長が考えたことを記してみます。
三島由紀夫は昭和41年の『英靈の聲』で、昭和天皇の人間宣言を批判します。
陛下がただ人間(ひと)を仰せ出されしとき
神のために死したる靈は名を剝脱せられ
祭らるべき社(やしろ)もなく
今もなほうつろなる胸より血潮を流し
神界にありながら安らひはあらず
[中略]
いかなる強制、いかなる彈壓、
いかなる死の脅迫ありとても、
陛下は人間なりと仰せらるべからざりし。
世のそしり、人の侮りを受けつつ、
ただ陛下御一人、神として御身を保たせ玉ひ、
そを架空、そをいつはりとはゆめ宣わず、
(たとひみ心の裡深く、さなりと思すとも)
祭服に玉體を包み、夜晝おぼろげに
宮中賢所のなほ奥深く
皇祖皇宗のおんみたまの前にぬかづき、
神のおんために死したる者らの靈を祭りて
ただ齋(いつ)き、ただ祈りてましまさば、
何ほどか尊かりしならん。
などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。
などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。
などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。
なるほど、天皇が現人神(あらひとがみ)ではなく人間だと言ってしまっては、英霊たち(神のために死したる靈、神のおんために死したる者ら)は浮かぶ瀬がない、と三島は訴えるのです。
しかし、翻って、三島は昭和24年の『假面の告白』で、学徒として動員された特攻隊用の零式戦闘機を生産するための工場のことを、次のように述べています。
私はこんな不思議な工場を見たことがない。近代的な科學の技術、近代的な經營法、多くのすぐれた頭腦の精密な合理的な思惟、それらが舉げて一つのもの、すなはち「死」へささげられてゐるのであつた。
塾長はここに違和感を感じました。三島は言い違いをしたのではないかとさえ思うのです。
特攻隊がささげているのは、「死」へのささげものではなく、「神」へのささげものだと思うからです。
自分たちの命を、「神(天皇、国体)」へ、「神の国・日本(善き国)」へ、「日本の守るべきもの(家族・恋人・子孫たち)」へと、ささげているのです。
いや、これはあくまでも三島由紀夫本人ではなく、『假面の告白』の主人公が言ったことであるのだから違った世界観を持っていたのだ、といわれてしまえばそれまでかもしれません。
では、昭和45年の彼の割腹自殺、こちらは、「死」へのささげものだったのでしょうか、それとも、「神」へのささげものだったのでしょうか。天皇は人間宣言をしてしまった。時代は「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済大国が極東の一角」に残っているだけ。戦後、すでに彼が命をささげるだけの重みを持った対象は、日本から失われてしまっているのです。近代以降の文明の摂取のなかで文化や魂をも失っていった日本というものに対する絶望だけが残されています。昭和45年の7月に、三島は政府(佐藤栄作内閣)へ建白書を出していますが、11月には、自衛隊市ヶ谷駐屯地でクーデタ決起のアジ演説(いわゆる檄文として知られているもの)をしたのち、割腹自殺を遂げます。なぜそこまで急がなければならなかったのでしょうか。
生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。いまこそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。
いろいろと考えてしまいます。
三島は生前、師匠にあたる川端康成の『雪国』の世界に関して、川端自身が本文中で「非現実的な世界の幻影」と語っているものを、わざわざ「反現実的な世界の幻影」と言い換えて評しています。
三島は、理想と現実のうち、もしかりに現実が間違っているとせば、そちらのほうを打ち消したい人のようです。
漱石が批判はしても否定はできないと踏みとどまった、自分の生きた「明治」という時代。三島は自分の生きた「昭和」(特に戦後)という時代を批判するだけではなく、実際に否定してみせたのです。
そう考えると、彼の自殺は、彼自身の「理想」(反現実)へのささげものであったのかもしれません。