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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
処暑[残暑がしばらく続く時節]とはよく言ったものですね。今週は日中とても暑かったです。ここ信州でも、涼しいのは朝夕だけ。美味しいかき氷でも食べたくなってしまうような天気でした。
今回は、塾の勉強と芥川龍之介の話です。
まず、直近の中3の模擬テスト・英語で、ミカンのことを英米ではsatsumaと言うのだという話が出てきました。薩英戦争からその後のミカンの伝播の話は、内容としてもとても興味深いものでした。ちなみに、ミカンは、他に、mandarin orange、tangerineとも言います。
そこで、塾長は数年前の長野県公立高校入試で芥川龍之介の短編「蜜柑」をめぐる話(そこではtangerineという語が使われていました)が出題されていることを思い出しましたので、早速その過去問題も塾の授業で取り上げました。
さらに、これも直近の中3小諸東中学校の前期期末テスト・国語で、初見の問題として芥川龍之介の俳句「青蛙おのれもペンキぬりたてか」の鑑賞が出題されました。(表記等は多少異なる。) 出題内容そのものは、「ペンキぬりたて」とはカエルのどのような様子をたとえているのか、という単純な一次読み取りのものでした。塾生たちの解答例としては、「鮮やかな光沢のある皮膚の様子」などが挙がっていました。正解です。
さて、折角の芥川つながり。これだけで終わってしまってはもったいないので、我らが「学びの庭」では、これをさらに100字の記述問題にまで発展させてみました。
こんな出題です。
問 芥川龍之介の俳句、「青蛙おのれもペンキぬりたてか」とあるが、なぜ「おのれは」(お前は)ではなく、「おのれも」(お前も)となっているのか。考えられることを、100字程度で述べよ。
いかがでしょう。5分~10分で書いてもらった塾生の解答は、大変にヴァラエティに富んでいて、素晴らしいものでした。
長野県の公立高校入試の本番当日にも、このくらいすんなりと時間に収めて書けると良いという、実践的な練習になったと思います。
それで、解答なのですが、 … と、その前に、塾生たちの解答例(概要)は…
・近くの葉や花も鮮やかに光って見えた。
・雨上がりの町の建物も光っていたから。
・衣替えの自分たちの夏服のような新鮮な気持ちと重なって見えた。
・実際にペンキぬりたてのベンチがあって、それと比べた。
・別の蛙と比べて、お前も同じように鮮やかだ、ということ。
・自分の周囲の人たちのような単純な色調と同じように見えた。
・皆の幸せそうな様子と蛙までもが鮮やかだという、自分との比較。
・オタマジャクシから蛙になったばかりの若く鮮やかな色と、まだ未熟で半人前の自分の姿を重ねた。
などなど、塾長の想定を超えて、さまざまなものが出てきました。「お前も」ということは、何かと比較している。これらの解答はすべて、この点をきちんと押さえています。理屈が通っていて、妥当性があれば、入試でも正解となるでしょう。
ちなみに、塾長の模範(?)解答[あらかじめ用意していた解答]は…
・文明開化以降、西洋文化の模倣ばかりを上っ面を撫でるようにし続けている、自分や自分を含む日本の知識人たちの姿を、まるで表面をペンキで塗ったばかりのような蛙の姿の上に、自嘲的に投影して詠んだと考えられる。(100字)
穿(うが)ち過ぎでしょうか。
とはいえ、塾長はこの俳句がジュール・ルナールの『博物誌』のなかの一つ、「青いトカゲ。ペンキ塗り立て、ご用心!」を基にしているということを知っています。ほら、これ自体、西洋文化の模倣そのものですよね。
芥川龍之介は、言わずと知れた東京帝国大学の英文科に学んだ秀才。アナトール・フランス、テオフィル・ゴーティエ、ウィリアム・バトラー・イェイツ、ウィリアム・モリス、ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ、アルトゥール・ショーペンハウアー、フリードリヒ・ニーチェ、…さまざまな西洋人の著作に学んだ人です。にもかかわらず(だからこそ?)、自己の限界、フェイクさ加減にも、人一倍、自覚的でした。(詳しくは、塾長の「手巾」考を参照のこと。) ですから、塾長の解答にも、充分な妥当性があると思います。
…実は、後で調べてみたところ、芥川自身は、この俳句について、友人からルナールの青トカゲの作品のことを指摘された折、だからこそ、おのれ《も》なのだ、と語ったとか。単純に、青トカゲと同様、青蛙も、というだけの脈絡です。
正直、これでは興ざめですね。何も面白くありません。作品は作者の意図を超えて語りだす。塾長の読みのほうが面白いと思うのですが(塾長は実証主義者でもなければ学者でもないので、妥当性さえあれば、興が乗る読みのほうを取ります)、皆さんの読みはいかがでしょうか。
皆さんは、ぜひとも、さらに面白い読みをしてみてください。