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Nostalgiaと懐かしさ。

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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。

 

昨日はとてもよく晴れましたね。朝、西の彼方に、北アルプスの青白い山並みが、冴え冴えと見渡せました。

 

さて、以前に日本特有の言葉を知ることが日本文化を知るよすがになるであろうという英文を読んだという話をいたしました。(11月3日付け塾長日記。)

 

当塾長日記の読者の皆さんは、そのなかに、「なつかしい」という言葉があったことを、覚えていらっしゃるでしょうか。

 

その後、津上英輔『懐かしさとnostalgia:比較美学から感性史へという素晴らしい論文を見つけて読みましたので、塾長の理解の範囲で、概要をご紹介いたします。

(正直、塾長の把握は、かなり大雑把なものになってしまっています。どうぞご容赦を。)

塾生の皆さんは、言葉一つひとつにこれだけの歴史や重みや変遷があるということを知る機会としてみてください。

 

 

①まず、筆者は、nostalgiaという言葉から分析・考察しています。

冒頭、この言葉は、《「帰郷(nostos)」あるいは望郷の「苦(algos)」を表す造語》だと語られています。これは、塾長の場合、遠い昔に、哲学者ヴラディーミル・ジャンケレヴィチ『還らぬ時と郷愁』を読んでいたので、おぼろな記憶で知っていましたが、それがしっかりと確認できたので、良かったです。

当初は負の感情を伴っていたこのnostalgiaという語が、徐々に正の感情と綯い交ぜのものとなり、近年ではむしろ正の感情を誘発するものとして使用されるに至った、ということが、この論文で数々の事例とともに実証されています。

 

②次に、なつかしいという言葉の分析・考察です。

筆者は、この語の古語「なつかし(<なつく)」「一人称制限」「感情・感覚形容詞」であり、「なつくことの実現を期待する」語であると指摘しています。

そして、「私はXがなつかしい」というとき、その主体はなのか、Xなのかを考えています。(←このあたりが、11月3日付けの塾長日記と重なる部分です。) さらに、「なつかしい」になぜ「」という漢字が宛がわれたのかを、中世の狂言の事例などにまで遡って考察しています。

この項の結論としては、「なつかしい」とは、空間的に隔たりのあるものに触れたいという願望の表れであり、「」の字が宛がわれたのは、《想像上両腕で胸に押し当てるという身体的動作を、非空間的な「なつかし」の最も適切な表象法として積極的に選び取った過程を表わ》しているからだそうです。そして、この思慕の対象が非空間的なもの=過去のことに及んだとき、「懐」の字を用いることが最適な表象となり得ている、と。

 

③最後に、このnostalgia懐かしい共通点相違点が探られます。

《共通点》

・両者とも、現実界不在によるから、想像界現前によるへと、意味合いの重点が移動していったこと。

・両者とも、思慕の対象が、空間的なものから、時間的なものへと転移したこと。

・両者とも、現前するものの味わいを感受するようにシフトチェンジしていったので、感性的質であるといえること。

《相違点》

・「なつかしい」においては、の要素が表立ってはいない。

・重点移動の時期が、nostalgiaは20世紀初頭、懐かしいは中世以降と、かなり異なる。

nostalgiaは、実在よりも表象が過大となり、《現在を過去と二重写しにして感情過多に味わう感性的質》であり、なつかしいは、現前物よりも想起されるもののほうが表立ち、《過去を夢想的に味わう専ら快なる感性的質》である。

 etc.…

 

 

最後、難しくなってしまいましたね。

ともあれ、以上のように、大変にユニークかつ有用な論文だと思われますので、言葉とその背景にあるものに興味のある塾生は、ぜひこの論文そのものを読んでみるといいでしょう。いえ、興味のない人こそ、こうしたものを読んで、世界観(ものの見方、感じ方)を広げることが必要なのではないかとも思います。

ひどいもので、「俺、本、読まないンすよ~」などという人が平気で大学生になっている時代です。しかし、やはり、活字の世界(とりわけ、単なる“エンタメ”ではなく、命を削って書かれた本)が伝えてくれるものには、無限と言って良いくらいの豊かさがあると思います。その一端に触れる気持ちを捨て去ってしまっては、人間として悲しすぎます。

何にせよ、nostalgiaという一語、懐かしいという一語に、これだけの背景や歴史があるということが驚きです。

この例を敷衍するならば、「鳥肌が立つ」なども、元々は「悪寒がする」「身の毛もよだつ」「恐ろしい」といったマイナスのイメージの言葉でしたが、今では感動的なものに触れたときにも使うようになっていますし、「いみじき(<いみじ<忌む)」「ヤバい(<厄場、矢場)」などの表現も、マイナスからプラスに転じた使われ方がなされているものとして挙げられそうです。

 

たしか、タルコフスキーの映画『ノスタルジア』(Nostalghia)では、病床に伏した人物が、様々な言語でnostalgiaと呟いては、どれも美しい響きだと嘆じていました。その当時、すでにnostalgiaという語は甘美な響きの市民権を獲得していたようですね。

塾長にとっては、「懐かしい」が、想像上、自分の胸のうちに過去を引き寄せ、抱く身体的動作を伴う語であると知れたことが、大きな収穫でした。

「回想されては、すべてがかなしい」と言ったのは、中原中也でしたでしょうか。とはいえ、「懐かしむ」という行為は、これほどまでに心の裡を温めてくれるものであったのです。

皆さんにとっては、いかがでしたでしょうか。

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