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イタリア文学から2冊。

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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。

 

浅間山の頂きの雪もすっかり解けて、塾の庭先では、水仙ジューンベリークリスマスローズなどの花が咲いています。

(4月なのに、ジューンベリーやクリスマスローズって、面白いですね。)

紅梅馬酔木枝垂れ桜も咲いています。

いい季節ですね。

 

さて、今回は、最近の塾長の読書から、紹介を。

イタリア文学から2冊。

 

①ブッツァーティ『タタール人の砂漠』(1940)

北方に砂漠の広がる国境付近の城砦で、地平線のかなたから敵が襲来することをいつまでもいつまでも待ち続ける、そんな話です。

軍に籍を置く主人公は、武勲を上げる機会を夢想しつつ、人生すべてをこうした期待の中に費やします。

齢を重ね、いざ戦いが始まるかというときに…。

 

この物語を絶望名人(?)カフカと同様の“不条理文学”としてとらえる向きが発表当初からあったらしいのですが、作者自身はそれを嫌ったようです。

それはそうです。筋書きだけを追うのではなく、腰を据えて中味を読んだ人にははっきりと分かることですが、この作品はまったくそうした“不条理文学”などではありません。

むしろその逆です。

春の到来の連綿と続く描写の、何と美しくも晴れやかなことか。

死を間際にした主人公の、何と潔くも高邁な闘いぶりであることか。

私たちは、無数の無名な人生に大いなる意義を見出さんとする、作者の賭けと筆力とを存分に味わうべきです。

 

ちなみに、グラック『シルトの岸辺』(1951)が発表当初この作品に酷似していると指摘をされたそうですが、全く違った味わいでした。

あえて言えば、戦線において戦火の火蓋が切られない“待ち”の状態が続くという、いわゆる“奇妙な戦争”の状況だけは似ていましたが。

 

②カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』(1979)

およそ四半世紀ぶり(!)の再読です。

「あなた」という読者が主人公として語られる、実験的な作風の小説です。二人称小説はビュトール『心変わり』(1957)にも似ていますが、『心変わり』が鉄道の線路に沿うように単旋律な感じであるのに対し、『冬の夜ひとりの旅人が』は、もっと複旋律の、いえ、多面体の構造の小説でした。本をめぐるミステリー仕立ての話ですし、その意味では、ビュトールの『時間割』(1956)のほうにより一層近いかもしれません。

ずいぶんと以前に、とある友人がこのカルヴィーノの小説のいわゆる“オチ”の部分を採り上げて、「この小説はちょっと…」と苦言を呈していたことがあるのですが、塾長としては、それには異を唱えたいです。

たとえばラフマニノフのあの美しいピアノコンチェルトが最後(ややもすると安直に響く)“チャンチャカチャン”で終わるからといって全体の価値がなくなるわけではないのと同様、ややこぢんまりした“オチ”(らしきもの)がこのカルヴィーノの小説につけられていたからといって、それによってこの小説全体の価値がなくなるわけではありません。むしろ、この小説は、各章の細部が随所随所で魅力にあふれていて、読者をとらえて離さないのです。

本の落丁、すり替え、盗難、偽書…さまざまな韜晦のせいで、中途までしか読めないストーリーが10も続き、男性読者、女性読者、研究者、出版人、作家、翻訳家などが、それぞれの思いを吐露しつつも翻弄されます。

自己言及的な記述の多い、典型的なメタフィクションです。

小説でありながら、これ自体が、優れた読書論、創作論、批評になっています。

 

ちなみに、ミッチェルの『クラウド・アトラス』(2004)は、その構造において、この『冬の夜ひとりの旅人が』からインスパイアされたとのことです。作者自身がインタビューでそのように語っています。塾長はこちらは未読ですので、機会があれば、ぜひ読んでみたいです。

 

 

さて、塾生の皆さんも、スマホを無為にいじっている暇があるくらいならば、血湧き肉躍る古典や名作の読書の一つでもして、ものごとをじっくりと考えてみた方が、よほど充実して過ごせると思いますよ。

いざ、図書館へ、Go !

 

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