- カテゴリ
皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
今日は小諸東中学校・御代田中学校の中1・中2定期テストですね。
われらが「学びの庭」の塾生の皆さんにおきましては、日々の練習の成果を発揮してくれることを期待しています。
さて、前回に引き続き、写真の話題です。
塾長が首都圏の大手進学塾で教えていたときには、よく、その場で小論文の課題を出して、生徒さんたちに800字程度の記述をしてもらっていました。
(今思うに、大変に能力の高い生徒さんたちの集団だったからこそできていた、贅沢な指導状況であったと思います。)
その課題のうちの一つに、「写真は生か死か。根拠とともに論じなさい。」というものがありました。
実は、解答は、生でも、死でも、かまわないのです。きちんと根拠や説得力のある論旨でそれが述べてあることこそが重要な点です。
以下、参考となる文章を載せておきます。これはとある小説の中で、父の葬儀を前にして、遺影というものについて思いを募らせる主人公の独白です。
一家言を持った批評家連中によって「写真とはタナトグラフィ=〈死の影像〉なのだ」などともっともらしいことがしばしば勿体ぶって言われるが、かりにそれが百年前に写し出されたいたいけな少女が現にいまここには存在していないといったことだとか、戦前に写し出された大都市がいまはもはや見る影もなく変貌してしまったといったことではなく、もちろん、戦後に予想外のアクシデントを装って次々と悲劇的な事故を演出されていった数々の英雄たちの決定的な写真がそれぞれ凄絶な死の瞬間を半永久的にフォルマリンづけにしているのだなどという陳腐きわまりないことでもなく——というのも、それらはすべて写真が死であるということのいみじくも語ってくれっている真正な意味をよく理解もせず、単に現実の死との参照関係でもって写真の中の死を捉えているだけのひどくお目出たい人々の発想だからだが、——そうではなくて、むしろいわゆる芸術写真をも含めてあらゆる写真においてもはやそれを撮った者の側の主体性といった観念が実は全く必要のないものであり、カメラという光学装置ないし撮影装置のこちら側に画然とフレイム・アウトされることによって文字通り〈度外視〉され、撮るという行為に今更個性だとか葛藤だとかいったものは贅沢で煩わしい代物であるばかりか、無意味にして厄介この上ない代物でもあったのだ、という脈絡において死のメディアであるのだとしたら、つまり、かりにあの遺影というやつはどんなものであれ、——たとえ額縁の中に正面を向いて収まった自己証明の無機的な写真のように無闇と顎をひき口元を強張らせている、まるであの静物画の永久的な不動性へと自らを還元したかのような顔であれ、——またたとえ明らかにスナップ写真からの強引な引き伸ばしであるがゆえにせっかくの笑顔が不気味にぼやけてこちらに虚ろな眼差しと笑い声とを不毛に投げ掛け続ける、まるであの振り子の瞬間的な不動性へと自らを還元したかのような顔であれ、——そこで死や消滅を、あるいは突如として自らを襲った不在や宙吊りを体現しているのが、そこに繫ぎ留められた無言の被写体のほうではなく、むしろ〈顔〉を剝奪されたそれらの撮影者のほうであるのだとしたら、そうした名ばかりの表現者と同様堅固に締め出しを食わされているという点において、この町ですでに行われたか、あるいはこれから行われようとしているのは、全く父の葬儀などというものではなく、掛け値なしで、それに立ち会い遺影と対面しその視線の織りなす襞に分け入るべく身を乗り出して互いに互いを蚕食し合おうとする、あの神妙な顔つきの参列者たちのそれなのだ。
この文章の恐ろしいところは、写真が死であるのは自明のことであり、しかもそれが写真それ自体や写真の撮影者の個性や主体性の死であるばかりでなく、それを見る者の側の死でもあると言ってのけていることです。ひどく抽象的で息の長い文なのですが、一つひとつ具体に置き換えてみると言いたいことが見えてきます。
おそらく、写真は死であるという批評家連中というのは、ジャン・ボードリヤールやロラン・バルトの影響を受けた者たちのことであろうかと思います。
塾長はこの小論文の設問「写真は生か死か」を用いて、以前に作文作法のオモシロ小説を書いています。
『塾屋マナティー堂の日常① ~小論文はカクテルの香りとともに~』(A4用紙7枚)。
読みたい人は、言ってきてください。塾生には無料配布をしています。