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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
年が明けて早くも一週間が経とうとしています。
本日で、冬期講習のクラス授業も無事終了。浅間中学校や佐久東中学校の総合テスト、また、大学入試の共通テストが間近です。実力を遺憾なく発揮できるよう、コンディションを整えて臨みましょう。
さて、前回は『自称詞〈僕〉の歴史』を紹介しましたが、もう一冊。
今回は、塾長がこの年末年始に読んだ本、竹本公彦『「草枕」 ―夏目漱石の世界―』について、コメントします。
塾長が最近とみに夏目漱石の『草枕』を好んでいるということは、この塾長日記を熟読している皆さんならば、ご存じですよね。
いまや、《草枕考》で検索すると、検索結果のトップになんと我らが「学びの庭」の塾長日記「SympathyとIdentity。夏目漱石『草枕』考」が出てきます。驚きです。
こうした流れのなかで、もっと『草枕』のことが知りたくなって、前掲書『「草枕」 ―夏目漱石の世界―』を購入してみたのでした。
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前半、突っ込みどころ満載の意見が多数出てきて、なかなか面白かったです。たとえば、著者は『草枕』の主人公は那美さんであって余ではないといいます。理由は、余には名前が与えられていないからだそうです。著者は、「名前がないものはいくら多く出てきても、語り部であって主人公ではないというのが私見である。」とのたまいます。
かなり大胆な考えですね。
これでは、たとえば、漱石の『こゝろ』の主人公は、先生でもKでも私でもなく、お嬢さん(静[しず])ということになってしまいます。また、『坊っちゃん』の主人公は、山嵐(堀田)でしょうか? うらなり(古賀)でしょうか? 野だいこ(吉川)でしょうか? ……まさか。御冗談を。
他、仏教やキリスト教や禅や老荘思想との関係が比較されたり、芸術論として漱石とベートーヴェンを並べてみたり、人という漢字について武田鉄矢(金八先生)のようなことを言ってみたり、……と、なかなか愉快でした。
とはいえ、後半は、ほとんどが新潮文庫からの大量の引用と少量のパラフレーズばかりとなり、あまり論旨が発展しないところが残念でした。大胆な仮説にせよ、深い実証的な研究にせよ、さらに大風呂敷を広げた話が聞けたら面白かったのですが。
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塾長は研究者でも専門家でもないので、面白い仮説、大歓迎なのです。
たとえば、《実は画工を名乗っているこの男は、まったく画家でも何でもなく、本当は、逃亡中の指名手配犯だったのだ!》などという話は、パロディーとしては面白いかもしれません。彼は、美術品専門の窃盗犯で、だから芸術にも造詣が深い。しかし、実際に絵を描くことはできないので、何やかや小難しいことを並べ立てて、しっかりした絵は一枚も描かずにお茶を濁している。那美さんは、地元の警察から探偵を依頼されて、あの手この手で“画工”の尻尾をつかもうと画策している……。(いまふと考えた思いつきです。全国の真面目な『草枕』ファンの皆さん、どうぞご容赦を。)
何にせよ、空想や妄想(?)を膨らませながら読書をすることは、楽しいですね。
いや、ほどほどに致しましょうか。