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高校生。県文芸コンクール、最優秀賞受賞!

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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。

 

今回は、プライヴェイトなことになりますが、……

 

塾長の娘(高3)が、長野県の文芸コンクールの散文部門で「最優秀賞」を戴いたので、ご報告を兼ねて、コメントをさせてください。

 

小 説 「 絶 弦 」  原稿用紙換算30枚

 

こんな冒頭です。

 

 濡れた石畳を打つ蹄の音が辺り一面に激しく響き渡り、馬車の到着を告げる門番の声より早く、伯牙は宮廷の石段を駆け降りた。その手には走り書きの文が握られている。脇に抱えた琴を車に乗せると、「出せ!」と一声叫んで自分も飛び乗る。御者の鞭が唸り、馬の嘶きとともに、馬車はそぼ降る雨の中を勢いよく走りだした。

 

まるで映画のワンシーンのようですね。モノクロームの。

ユーモア小説ばかり書いている塾長には、逆立ちしても書けないようなカッコよさです(嫉妬)

 

選考委員の先生方からも、様々な賛辞を頂戴いたしました。

 

「[…]完成度の高さは一頭地を抜いていました。中国を舞台にした歴史小説に特有の香気漂う文章、映画のフラッシュバックを思わせる構成、そして有名な故事を換骨奪胎する手際がじつに見事で、ほとんど間然するところがありません。」

 

「語彙の豊富さ、表現の巧みさ等、柳さんは過去のコンクールの受賞作品でも定評があり、今回の作品も遺憾なく、その力が発揮された作品で、今回、選考会で最優秀賞の受賞となった。」

 

「柳さんの小説は1年生の時から読ませてもらっていますが、描写力にますます磨きがかかり、また、こんな作風のものも書けるのだと驚かされ、そして、下敷きにした故事に新たな解釈を加えて伯牙が『絶弦』しない可能性を示した[…]のにはうならされました。今回の応募作では出色の作品でした。」

 

「冒頭から一気に柳さんの世界観へと引き摺り込まれました。切羽詰まった場面から始まり、初めは一体何が起こっているのか全く分からないものの、地の文からは歴史小説の雰囲気が漂い、『馬車』『門番』『伯牙』『宮廷』『琴』等の言葉から、詳細な説明が無くとも時代や国を特定できるようになっている点が見事でした。全体的に地の文の語りのうまさが際立っており、伯牙の経験した出来事や目に映る情景等がとても具体的に目に浮かぶだけでなく、場面に応じて伯牙の声色や話す速度まで想像できるようで、どんどん引き込まれてしまいました。」

 

「細やかな自然、心情の描写が見事で、物語にスムーズに没入させてくれる力は素晴らしい。鍾が亡くなるシーン『ゆっくりと息を吸い込んで、それから、それから―。 それから、何も起きなかった。』など、朗読原稿として採用したくなるほど音と言葉の間合いが絶妙と感じた。」

 

「改めて『知音』の故事にあたり、よくここまでの大きな物語にまで発展させたものだと感心しました。」

 

若い書き手の翼を捥(も)ぐことなく、これだけの有り余る賛辞を贈っていただき、親としても感謝の念に堪えません。おそらく作者としても、こうしたきちんと内容に踏み込んだ意見や感想は、大変に貴重なものであるかと思います。選考委員長はじめ選考委員の先生方、誠にありがとうございました。

 

 

ところで、どうやら選考会において、『絶弦』というタイトルと、実際に伯牙が小説内で絶弦していないことに関して、“題名と内容の不一致感”があるとの意見が出たようです。もしこのタイトルであると、“オリジナルの物語として完成度の高い作品”ではなく、“元の作品を潤色しただけの作品”と受け取られてしまわないか、と。

ですが、塾長は全くそんなことはないと考えています。

娘の小説は、主人公・伯牙が、親友・鍾の危篤の手紙を受け、もう一度鍾に琴を聴いてもらうことが叶うならば弦を絶っても構わないと念じつつ、都から鄙の地へと馬車や馬を走らせるという、間に合うのか、間に合わないのか、弦を絶つのか、絶たないのかの、ギリギリいっぱいの道行きのストーリーです。また、自分の芸術を理解してくれない都の人々への違和感とも諦めとも憤慨ともつかない気持ちを伯牙が抱えて悩んでいるという独自のテーマ設定(これは、挑発的にも、批評家や審査員たちへの執筆者の違和感を問題提起したものでもあろう)なども含め、それ自体、どんなタイトルであろうと、充分にオリジナリティーもあります。『絶弦』というタイトルで、何の問題があるというのでしょう。

そも、たとえば、『絶体絶命』というタイトルの小説があったとして、主人公が絶命しないからといって文句を言う人はいないでしょう。主人公がほとんど「絶体絶命」かと思われるピンチをギリギリのところで回避できるかどうか、あるいは、どうやって乗り越えるのか、というところに面白みがある話でしょうから。『絶弦』についても、そういうことが言えます。

また、審査をしてくださった先生方の中には、こんなことを仰ってくださった方もいました。

「元の故事では『絶弦』する伯牙ですが、この作品の中では、もしかしたら伯牙は『絶弦』しないのでは?と思わせるような展開になっています。これについては選考会で話題になったのですが、もしそれが『タイトルに『絶弦』を持ってくることで故事を知る人にある程度展開を予想させながら、実は故事から転じた『親しい人との死別』の意味合いで用いたものであって、元の故事を知る人の予想を裏切る』といったような狙いであったならば…という可能性について考え、ゾワっとしてしまいました。」

たしかに、「絶弦」(「伯牙絶弦」)という言葉には、《弦を絶つ》という意味と、そこから転じた《親しい人との死別》という意味があります。

すなわち、『絶弦』というタイトルは、絶弦する/絶弦しないという両義的な意味があると同時に、《弦を絶つ》/《親しい人との死別》という両義的な意味もあるのです。

(ネタばれになってしまいますが)物語の最後は、まさに鍾との死別で終わります。しかも、ここもまたオリジナリティー溢れるところですが、鍾には実は琴のたしなみがあり、伯牙ではなく鍾こそが、すでに『絶弦』の経験をしていたということが仄めかされるのです。 

この点を、「樵(きこり)の鍾が琴の経験者で『絶弦』している」と、きちんと汲んでくださった選考委員の先生もいらっしゃいました。『絶弦』は、「伯牙絶弦」(伯牙が弦を絶つ)ならぬ、「鍾絶弦」(鍾が弦を絶っていた)という意味も担わされているのです。

このように、『絶弦』というタイトルは、「伯牙が弦を絶つかどうか」「親しい人との死別」「実は鍾が弦を絶っていた」といった多重の独自な意味を担わされており、この小説にとって、まさに打ってつけの、絶妙なものであるといえると思います。

読者は、この小説を読み終わったとき、今後の伯牙の音楽との向き合い方だけでなく、これまでの鍾の琴との向き合い方にも、思いを馳せることになるでしょう。未来の方向へと同時に過去の方向へも、無限の想像力の沃野が広がっているのです。

 

 

何にせよ、親としては、高1(『車窓の風景』県文芸コンクールで最優秀賞)高2(『星のゆりかご』四国大学主催の全国文芸コンクールで佳作)高3(『絶弦』県文芸コンクールで最優秀賞)と、確実に筆力を大幅に上げて、今では親が舌を巻くような表現を繰り出してくる娘に、ただただ感心してしまっています。

書く(表現する)という行為はそれ自体自由の発露そのものですが、今後も自己や世界と向き合って、研鑽を積んでいってくれることを願っています。

 

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