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久しぶりに、家族で読書会。

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「えぇ?! そこは受け入れて読むものと思ってた!」

 

皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。

 

先日、久しぶりに家族で読書会をしました。題材にした作品は、

 

堀江敏幸「ボトルシップを燃やす」

           (『おぱらばん』所収)

 

自由に読後感や感想や疑問点を述べ合い、あとは、あ~でもない、こ~でもないと言い合うという会です。

前回は、中島敦「幸福」で開催しましたが、すでに1年以上も前のことです。

感覚を取り戻しつつ、色々な意見を開陳し合いました。

「ボトルシップを燃やす」は、少年時代、近所の上級生Nと空き家になった店舗(元・喫茶店)に忍び込んだ〈私〉が、そこに取り残されていたボトルシップの船を燃やす、という話です。そのことを、中学時代に見た日本・ソ連合作の黒澤明の映画を見ていて思い出した、という話。

様々な読後感が出てきました。

 

「いきなり途中からシベリアの話になって面食らった。」

 

「冒頭部分がとにかく読みづらい。建物の説明や部屋の詳細など、単なる事実の羅列で全く頭に入ってこなかった。」

 

「どうしてアルセニエフとデルス・ウザーラの濃い友情の話が、〈私〉とNとの薄い友情の記憶を思い起こさせたのかが、謎。」

 

……などなど、いろいろと率直な感想が飛び交いました。

 

 

その中でも出色だったのは、

 

「ボトルの中の船は、そんなに簡単に燃えるわけがない。ボトルシップを燃やしたというのは、嘘なのではないか。

 

本当は、Nなんて人物は、いなかったのではないか。実際には、〈私〉が一人だけで忍び込んだのではないか。」

 

さらには、

 

「この空き家となった店舗は、この小説の中で、幾度となく、船や帆や船出などの比喩で語られている。つまり、……」

 

「つまり……?」

 

「つまり、本当は、この〈私〉(≒作者)は、たった一人、この空き店舗に忍び込んで、ボトルシップではなく、この建物そのものに、火をつけたのではないだろうか。」

 

「え、え゛~!!!」

 

想像力というものは、恐ろしいですね。

たしかに、小説内では、Nはこの忍び込みから1年としないうちに死んだ(そのことが黒澤映画の中で死んだデルス・ウザーラと重なった)と書いてありましたが、はたしてどうなのでしょう。

小学生にとって、人の死は、非日常的な出来事で、かなりの重さがあるものなのではないでしょうか。それが、ただ死んだ、と淡白に語られているだけで、その時の葬儀の様子も、その後の家族のことも、何一つ語られていません。

なぜ語られなかったのか。

それは、そもそもNなどという近所の上級生は存在しなかったから、なのではないでしょうか。

放火の単独犯である〈私〉は、共犯者が欲しかった。しかも、上級生にそそのかされて空き店舗に侵入したのだ、上級生にそそのかされてボトルシップに火をつけたのだ、という言い訳ができるような、そんな都合の良い共犯者が。

 

比喩の連想が示唆するように〈ボトルシップ≒空き店舗の建物〉であるならば、〈作者〉の少年時代、その居住地域で不審な放火が実際にあったとすれば、おそらくビンゴです。

〈私〉は、かつて一人で空き店舗に侵入し、その建物に放火をしたのです。

それを、今になって、オブラートに包んで告白しているのです。

※いや、もちろんこれは、小説という虚構と真実の入り混じった虚実皮膜の創造物を介した、想像上の遊戯ですよ。本当に、作者本人がそうしたと言っているのではなく、あくまでも、カギカッコ付きの〈作者〉≒〈私〉が、という話です。

 

実に凄いところにまで話が進んでしまいました。

ちなみに、この、建物が船に見立てられ、三階のバルコニーから眼下の景色を眺めるときの描出は、三島由紀夫『金閣寺』のパロディなのではないかとも、考えられます。

金閣の二階の欄干にもたれて、船に乗って海へ船出するかのようにして、池の向こうを眺めるシーンがあったように記憶しています。

金閣寺も、(小説でも、現実でも、) 炎上しました。

金閣寺も、この建物も、三階建てです。

ああ、やっぱり、この空き店舗の建物も炎上したのでは?……などとどうしても想像力を逞しくしてしまった今回の読書会なのでありました。(終わり。)

 

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