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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
本日は、長野県公立高校入試・後期日程の合格発表日でした。
われらが「学びの庭」の受験生は、全員、見事、合格いたしました!
開示された点数も聞き取りましたが、誰もが立派な点数での合格でした。
お、め、で、と、う !
受験の素晴らしさについては、以前にも話しましたが、さらにもう一つ。
自分が(自分の努力が)、社会から承認される喜びを得られるということです。
元来日本人は、西洋人と異なり、労働を苦としない、勤勉な国民性を持っています。働かない自分が嫌いなのです。社会的に役に立っている感覚、これを仕事を通じて感じることに幸せを覚える民族性を持っています。ですから、不労所得のみで生活をすることを嫌う国民性が形成されていたと言って良いでしょう。
ところが、最近では、それが、良くも悪くも、“グローバル化”のなかで崩壊しつつあります。今後、勤勉さを美徳としない人が多くなった日本社会がどうなっていくのか、塾長にはよく分かりません。
いえ、にもかかわらず、あいかわらず、勤勉である人こそが、結局は社会のリソースを手に入れていくということだけは、そう簡単には変わらないとも思います。塾長の周りで、社会的に成功した人たちは、能力もさることながら、やはり誰もが一様に勤勉であったと感じます。そうした勤勉さは、能力以上に尊敬に値します。塾長は、先輩であろうと、同輩であろうと、後輩であろうと、そうした勤勉さを貫いている人たちを尊敬いたします。古くさい考えかもしれませんが、努力や勤勉は、やはり尊いのです。これを鼻で笑う人たちもいるかもしれません。しかし、その人たちは、大切な何かをドブに捨ててしまった人達であるのかもしれません。
…さて、なぜこんな話を延々としてしまったのでしょうか。それは、高校受験を終えた卒塾生たちに、今後も努力を惜しまず、勤勉に学び続けていってもらいたいからです。スマホを買い与えられて、勉学を二の次とし、志も目標も曖昧にし、自分や自分たちだけラクして楽しく暮らしていければそれで良い、などという、悪しき“個人主義”や“利己主義”に陥った、醜い大人たちの一人になっては欲しくないのです。きちんと、自分の能力を最大限に発揮して、社会にコミットしていってもらいたいのです。あなたの人生は、あなた個人だけのものではありません。あなたが社会的に活躍することは、あなただけでなく、社会にとっても、嬉しいことなのです。あなたが社会的に活躍しないことは、あなただけでなく、社会にとっても、悲しいことなのです。
塾長自身が大した大人ではないので、こんな言葉は単なる偽善や意味のない理想主義でしかないのかもしれません。しかし、若者たちにはそうした理想を現実に追い求めることを望んでしまう、…これもまた、教育者であれば誰しも、当然心に抱くことなのではないでしょうか。
子供たちに理想を語れない教育者が多いように思います。自分の子供にでさえ、理想を語れないような親が多いようにも感じます。役割を放棄せず、子供たちの成長のため、よりよき社会の実現のため、大いに理想を語っていいのではないでしょうか。
楽しければ、それでいい? …楽しさを、塾長はまったく否定してはいません。むしろ、努力や勤勉が報われる感覚こそが、大いなる楽しさであり、大いなる喜びなのではないでしょうか。刹那的な楽しさ(快楽)はいざ知らず、努力と楽しさは、決して対立概念ではありません。両立できるものです。誰もが、楽しく、努力をしていけたら素敵だと思います。
これは、卒塾生全員への、塾長からの餞(はなむ)けの言葉であると同時に、世の先生方・世の親御さん方への言葉でもあります。