- カテゴリ
皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
定期テスト直前期ですね。
《演習⇒得点化⇒理解⇒記憶⇒反復⇒再得点化》の流れで、得点力を上げていきましょう。
悩み過ぎず、短時間で、次々と実施するのがコツです。
超難問に絡めとられることなく、狙いどころを狙っていきましょう。
さて、中学生・国語に関して、感じたことを2つばかり。
① 「たくさんの活字に触れる機会そのもの」を増やすべし!
前回の塾長日記で出題的中したことを紹介した本、高階秀爾『日本人にとって美しさとは何か』を、教場内に置き直しました。すると、数人の塾生が、授業開始前に手に取って、前書きなどを音読してくれました。生徒さんたちの多くは、そのなかで、「靄」という漢字が読めなかったり、「優艶」という言葉の意味が分からなかったりと、最初から躓いてしまっていました。なかには、「字がビッシリで、内容が全然頭に入って来ない…」という子まで。
学びの庭では、以前まで紙媒体の塾だよりをかなり頻繁に出して、読み合わせもして配布していましたので、塾生は塾長の“容赦ない”(?)活字の洪水に触れるチャンスがありました。しかし、この1年ほど、そうしたものはホームページに移行しましたので、家で塾長日記をしっかり読まない塾生は、活字の洪水に触れるチャンスが極端に減ってしまっているのかもしれません。有意の相関関係があるかどうかまでは証明できませんが、塾長日記程度でさえ読み込まない塾生が、自分から難しい本にチャレンジするとは、考えづらいですよね。
「論理的な文章には、教科書の説明文や論説文でしか触れない」というようでは、とてもではありませんが、知的・論理的成長は見込めません。テレビでドラマやバラエティを見るのも結構ですが、その一方で自分から論理的文章を読み込むということも、やっていってほしいものです。
さて、では、手始めに、何からすればよいのでしょうか。新聞を読むのも良し。問題集の文章題を解くのも良し。とはいえ、それらでは、言葉が難しかったり、文章自体が長かったりと、ハードルが高いという塾生も多いかと思います。
そこで提案です。
塾長の“読書日記”です。ここ数年の塾長の読書日記は、紙媒体の塾だよりの余白を埋めるコラムのとき以外は、全員への配布をやめております。希望する塾生にのみ、無料での配布をしております。主観と客観を交えて(なるべく論理的に)さまざまな本の紹介をしていますので、これを読みのきっかけとすることを、塾生の皆さんにお勧めします。まずは、塾長自身の文章を、物語とは違う、説明的な文章に触れる導入の一つとして、どうぞご利用ください。生徒さんの読書体験が、そこで紹介された本につながっていってもいいですし、書店や図書館で、興味のある分野の新書などに広がっていってもいいと思います。
希望する塾生は、どうぞ申し出てください。塾長が生徒さんの希望や状況に合わせて、とりあえず、2~4枚ほど見繕って配布します。(もちろん、完全無料ですよ。) 読み終えたら家族の会話の材料にしてみてもいいですね。
「塾長先生はこんな風に言ってるけど、どう思う?」
「ここにはこんな風に書いてあるけれど、僕は違う考えだな」、などなど。
大いに自分の学びの材料にしてみてください。
親御さんも面倒がらずに(我が子のことですから、面倒などということはないかと思いますが)、お子さんの相手をしてくださいね。
② 古今東西の美の表現を鑑賞すべし!
目下、中学生の古文で『平家物語』を取り扱っています。そのなかに、塾長の大好きな対句表現があります。
沖には平家、舟を一面に並べて見物す。
陸(くが)には源氏、轡(くつばみ)を並べてこれを見る。
[…]
沖には平家、ふなばたをたたいて感じたり、
陸には源氏、箙(えびら)をたたいてどよめきたり。
絵画的で美しく、対称性(対照性)が際立ち、心地よい一節ですね。
こうしたコントラストの美しさは、漢詩文のみならず、西洋のシャトーブリアンの一節などにも見ることができます。(塾長の読書日記その100参照)
…と、ここで話を高階秀爾の『日本人にとって美しさとは何か』まで戻しましょう。すでに気づいている人は気づいているかとも思いますが、そもそもこの書名は吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』からの借り受けです。(タイトルそのものは著者が決めたものか出版社サイドが決めたものかは分かりませんが。)
日本人とは何か。言語とは何か。美とは何か。…洋の東西や、時代の古今を通して、比較・分析し、共通点や相違点を洗い出すことで、その特質を見極める(綜合する)という方法論が、こうした論説文の根底にはあります。さらには、言語、絵画、音楽、工芸、建築、…さまざまなジャンルのものと比較することでも、自らの特質を見極めることができます。(塾長の読書日記その87~89参照)
『平家物語』の魅力は、それ自体へ深くのめり込むことだけでなく、学際的に他のものと比べることでも際立ってきます。近視眼的になることなく、(いま流行りの)“総合的・俯瞰的な観点”で、ものを見る眼(審美眼)を養って、あらゆる事物を鑑賞・判断していけるといいですね。
何も知らないでいる無知の幸せに浸っていることから脱し、人間文化の粋(すい)を一端でも知り、それに浸れれば、人として生まれてきた甲斐があるというものです。塾長もまだまだまったくの無知蒙昧の領域にいますが、できれば、より高く、より深く、より豊かに、物を味わうことができればと願っています。塾生の皆さんもそんな風に自分を煮詰めていく(成熟させていく)方向でものを考えてくれれば嬉しいです。