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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
私立高校入試の結果が出ました。
無事、“全員合格”でした。
おめでとう!
入試の結果は、あなたたちの能力やこれまでの努力が、社会的に認められた大きな証しです。自分を誇りに思いつつ、同時に、社会に対して謙虚に感謝しつつ、今後もさらなる邁進をしていきましょう。
さて、今回、さらに話題にしたいことは、学校の掃除に関してです。
こんなことを聞きました。
一部、私立の学校等では、生徒さんたちが自分たちの学校のトイレ掃除さえしないということだそうです。
生徒さんたちが学校の掃除をするという習慣は、日本の学校教育の良い点であると思うのですが、そうしたものが崩れていってしまうのは、大変に心配なことです。
と申しますのは、考えすぎかもしれませんが、こんな風に思うからです。
お客様感覚の生徒さんたちが、「お金を払っているんだから、当たり前だ」というような感覚で、日々環境を整えてくれる人たちに対して何ら感謝の気持ちも持たずにただ受験勉強だけに注力し、チャッカリ高学歴や社会的リソースを手に入れてしまうのだとしたら、はたしてそうした人たちが将来世のため人のために身を粉にして働こうとするでしょうか。
世の中には高学歴でありながらアモラルないしインモラルな人が一定数いますが、それはおそらくそうしたものの中に無自覚にどっぷりとつかってしまったが故の結果だろうと思います。
塾長は、そうした面に、日本社会の拝金主義と個人主義の行き過ぎを感じます。日本がこれ以上悪しき階層社会にならないことを願います。
もちろん、人の心の中は規定できません。しかし、社会的に生きている以上、個人の価値観だけでなく、一定の社会性や公共性は、必要なものだと思います。そうしたものを育んでいくのも教育の大きな役割なはずです。
たとえば、国語で物語文を読むこと。この最大の意味は、「他者の考えや気持ちを慮ること」ができるようになる点にあると思います。
学習塾は個人個人の成績を伸ばすことを眼目としていますが、「学びの庭」では、公共性・社会性をないがしろにしてはおりません。むしろ、公共性・社会性がある生徒さんのほうが、「将来こうして世の中の役に立ちたい」ですとか、「親がわざわざ送り迎えをしてくれているのだから頑張らなくちゃ」ですとか、「先生が叱ってくれているのは、僕が伸びる能力を持っていると信じてくれているからだ」ですとか、…さまざまな志・感謝・思慮などの気持ちやミッションとともにあるので、勉強も頑張れるというものです。むしろ、個人主義のみに陥ってしまっている生徒さんのなかには、自分の将来を「別にテキトーでいいや。俺の人生、俺の自由だし」と考えて、怠けてしまう場合だってあるかもしれません。
個人と社会。どちらも大切にすればいいのです。生徒さんは、世の中全体を見据えつつ、公共性・社会性を高めながら、個々のやるべきことに注力していきましょう。
挨拶・意思表示・コミュニケーション・感謝・志・他者への思慮、そうしたものと、個人の学力向上は、相反するどころか、相乗するものだと思います。
ちなみに、塾の掃除は塾長がしています。生徒さんの中から、「塾長先生、掃除、手伝いましょうか」という人が出てこないかなぁ、と、常々思っているのですが…。