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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
今日は英語の長文読解授業でのお話です。
中学生の受験問題集で、こんな話の長文問題が出題されていました。演劇部の練習があまり楽しくなかった女の子が、とあるきっかけで、全員のなかで自分の役割を果たすということの重要性に気づき、その後は楽しく練習でき、舞台でも溌溂と演じられた、という話です。
変化のきっかけとなったのは、ミツバチの社会について知ったことでした。
話の詳細は省きますが、「学びの庭」応用クラスでは、この英語長文を単に解説して終わるということはありません。
すかさず、これに関連した別の英語長文「ミツバチは女社会?」というものを引いてきて、さらなる学習をしました。
こうしたことは、「学びの庭」では珍しいことではありません。
たとえば、最近では、英語長文問題でオックスフォード大学とケンブリッジ大学のボートレースの話が出たので、その基となった実際の長野県の入試問題そのものをすぐに引いてきて実施・解説しました。
同様に、先日は、国語読解問題で森博嗣の文章が出たので、長野県の入試問題での森博嗣の文章をすぐに引いてきて実施・解説しました。(生徒さんは国語の文章の出典にあまり気を留めません。出典をチェックする点も指導しました。)
話はやや逸れますが、この森博嗣の文章に出てきた《フェール・セーフ》という語句を、生徒さんたちに英語の綴りで書いてもらいました。塾長も最初文章を読み始めたときには、経済や哲学の用語である《レッセ・フェール》(フランス語で“laissez-faire(なすがままにすること)”)の類語か何かかと思ってしまいましたが、さにあらず、“フェイル・セーフ fail safe(故障したら安全側に制御されること)”でした。授業では、さらに英語のfailの名詞化、safeの対義語、など、“意味のある”脱線を多少しました。…こうしたことをほんの少しでもやれるかどうか、…全教科をトータルで教えている「学びの庭」ならではのメリットだと思います。
閑話休題。(話を元に戻します。)
このように、「学びの庭」では、自由自在、融通無碍に、生徒さんたちが日々使っている問題集の小問から、長野県の具体的な入試問題へと学習範囲を広げていっています。自分たちが近い将来やることになる入試問題に実際に触れる場面をこうして自然に与えられている生徒さんたちは、知らず知らずのうちに、ごく自然に、鍛えられています。こうした日々の蓄積が、入試時の得点力につながっていくのです。
中1・中2の頃から、ヴェテランの心ある塾の先生にきちんと教わっていると、こうした大きなメリットがあるのです。(学校は、いかな優秀な教師陣でも、教科やカリキュラムを飛び越えることはできませんし、学力の平均ないし基礎層に合わせて授業を組みますし、原則として個別に教えることはご法度ですので、こうした点での期待はできません。) 当塾で学年順位一桁の結果を出している塾生たちの多くが、小学生から塾長が応用生として見ている生徒さんたちであるという点からも、中3からの駆け込み入試対策学習がどれだけ遅れをとっているのかは、火を見るよりも明らかです。たしかに塾は受講料はかかりますし、通塾もそれなりに大変かもしれませんが、それだけの、(いえ、「学びの庭」では、それ以上の!、)価値の高いことを提供しております。
ミツバチの社会での一匹のハチの役割は小さいものなのかもしれません。それは、「学びの庭」という地方の小さな個人塾の役割が、実に取るに足らないちっぽけなものであることとも重なります。とはいえ、その、取るに足らないかもしれないちっぽけな役割をこうして担うことが、日本のより良き未来を支えることの一助となるののであるとすれば、それもまた、実は価値の高いものと言い換えてもいいのではないかとも自負しております。
答えは、塾長が指導した生徒さんたちが将来どのように社会に貢献してくれるか(別に出世するとか偉い役職に就くとかいったことではありません)を見ることで出るでしょう。仕事人として、家庭人として、社会人として、人として。