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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
石畳の上に無数の金木犀の花が散り敷かれていて、色彩のコントラストが目に映えます。
10月も中旬。紅葉、柿の実、虫の声。…秋の深まりがいたるところで感じられます。
さて、今日は読書について、簡単に。
芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋、…いろいろな秋があると思いますが、塾長としては、生徒さんたちにはまず第一に「読書の秋」であってほしいものだと思っています。
塾長はよく、授業の合間に、生徒さんたちに、最近はどんな本を読んでいるのかを訊ねることがあります。
歴史もの、学園もの、冒険もの、恋愛もの、社会情勢もの、科学もの、…様々な本が挙がってきます。
さまざまなジャンルの本を読んでもらっていいのですが、最近、ちょっとしたアドバイスを何人かの生徒さんにしました。
流行りものとしてその時その場で面白かっただけで消費されてしまうものだけではなく、ぜひ、自分の「読書履歴」に深く刻まれるものを読んでみるといいよ、と。
5年後、10年後、いや、もっと先になってから、あの時読んだあの本のあの一節は心に残っている、と思えるような本との出会い。
そのためには、ちょっと背伸びをした本や、ちょっと気合を入れて読むような本にチャレンジをしてみることも良いかと思います。
もちろん、面白さや凄さを感じ取れる自分の受信機の感度を高め、読む側がその感受性を研ぎ澄ましておくことのほうが、もっとも大切なのかもしれませんが。
先日、高校生用に作った小論文の問題を、中3生にまで拡張して授業をしました。
漱石の『草枕』から汽車論の部分を引用して出題をしたものです。
すぐれた現代文明論になっているのですが、書かれたのは100年以上も昔。
あまりにも現在にも通じるその内容に、生徒さんの一人が、「漱石、すげー!」と言ってきました。
これだけでも、授業は大成功だったかもしれません。
こうした凄いものを凄いと感じられる感受性を育むことが、実は喫緊の課題なのかもしれません。
最近の塾長の読書は、再読が多いです。初読時には気づけなかったことを発見したり、心境の変化によって以前とはまったく違うとらえ方が出来たりと、読書とは自己との対話でもあると気づかされること頻りです。