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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
今日は花祭り。甘茶で灌仏。お釈迦様の誕生日ですね。
塾長は久しぶりに『スッタニパータ』(ブッダのことば)、『ダンマパダ』(真理のことば)、『ウダーナヴァルガ』(感興のことば)などを引っ張り出してきて、読み返してみました。
どれも、塾長が高校時代に読んだ本です。悩み多き時期だったのかもしれません。こんなところに、鉛筆書きで傍線がありました。
・ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ。(中村元訳)
・ガウタマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、その心は遠ざかり離れる孤独(ひとりい)を楽しんでいる。(同上)
・肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群れを離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。(同上)
また、このような箇所にも印がついていました。
・世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。(同上)
鴨長明の『方丈記』のなかの一節を思わせますね。無常観。高校生の頃の塾長は、いったい何を思っていたのでしょうか…。
とはいえ、昨今の塾長は、いまだにまったくこのような悟りの「さ」の字にもたどり着けてはいません。今朝がたも、インターネットなどでは到底埋めがたい都市部と地方との大学入試対策の環境格差について、煩悩丸出しで嘆いていました。
“結局は、情報とノウハウを持った先生にサーヴィスを直接受け放題受けられる都市部の恵まれた環境で受験対策のできる生徒さんたちが、圧倒的に有利に社会のリソースを享受していける、この不公平たるや!”、と。
しかし、さらに翻って、これは、より巨視的に見れば、平和で安全で快適な日本にいる生徒さんたちは、教育においてすでに世界的にも圧倒的に恵まれたものを享受しているわけで、今更何かを嘆いてみたところで、詮方ないことです。
与えられた環境の中で、感謝の念を忘れずに、自らをどれだけ豊かにしていけるか。結局は、そこにかかっているのかもしれません。
ところで、こんな言葉にも線が引いてありました。塾生や、成長期にある学生さんたちだけでなく、塾長自らの戒めにもしたいものです。
・学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれの智慧は増えない。(同上)