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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
ここ信州では朝には霜が降りて大変に寒いですが、塾生および保護者様におかれましては、どうぞ風邪などひかぬよう、お気を付けください。
さて、最近、高校生の英語長文でロバート・フロストの詩「行かなかった道」The Road Not Takenに関する問題を実施しました。
二つに分かれた道。一方は、草に覆われた誰も通っていない道。もう一方は、多くの人が通って草が踏みしだかれた見通しのよい道。あなたはどちらを選びますか、という文章です。
もちろん、詩人は前者を選びます。そして言います。
それが、その後のあらゆる違いを生み出したのだ、と。
なるほど、いかにもアメリカンドリームの国らしい詩ですね。
(ここでは、とりあえず、単純にそう解釈しておきます。)
要するに、アメリカ人的な発想では、《違い》=《良きもの》なのです。
これは大学入試の小論文や二次試験の論述でもいえることだと思います。
皆と同じことを言う程度では、合格は覚束ないと申せましょう。
少なくとも、皆よりも“頭一つ”飛び出た答案を作れてこその勝負です。
日本人は、傾向として、他人と同じようにしようとする傾向が根強くあるように思います。もちろん、それが良い方に作用することもあります。しかし、悪い意味での同調圧力や異物排除となってしまう場合もあります。没個性的である、とも。
もちろん、あまりにも無手勝流であったり、あまりにも自己流にこだわりすぎたりして、他者の意見に耳を傾けないのも困りものです。合わせればいいところをわざわざ異なったやり方でやる必要はありません。
上手に使い分けて、《合わせること》の良さも、《異なること》の良さも、活かしていけるといいですね。
要するに、学びの庭的には、《判断力》こそが《良きもの》なのです。
とりあえず、これを今回の結論といたします。