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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
前回からの続きのお話をします。
中1国語のクラス授業のことです。
小説文の読解で、心情の変化を読み取ろうという趣旨の演習をしました。
サシバ(差羽)という猛禽類の渡りに関して、主人公の少女は当初、“家族で支え合って旅をする”という《甘い幻想》を抱いていた。
ところが、実際はそうではなく、渡りは単独で行われるという。そして今、目の前に居るサシバは、翼に傷を負って、鋭い鳴き声を上げる。
その声が少女の胸に刺さる。
さてここで、「なぜ胸に刺さったのか、説明せよ」という記述式の設問がありました。
その際、生徒さんたちは、状況説明をした後に、「かわいそうと思ったから。」「心配になったから。」などで、まとめていました。
塾長は、これらの答えには、△しかあげませんでした。
生徒さんたちからは不満の声も上がったのですが、そんな折、生徒さんのうちの一人から、
「『甘い幻想』って、そもそも何なんですか」
という質問が出ました。
これはとてもいい質問でした。
といいますのも、今回は心情の変化を読み取るのが主眼の授業です。
この質問から逆算して、
当初 … 甘い幻想=仲良しこよしで旅をする
変化後 … (その反対)=甘いの反対=渡りは厳しいものだと知る
と気づけたからです。
塾長の考える、〇がつく解答の条件は、事実の状況説明をした後に、鳥の渡りに関して、「厳しさを思い知ったから。」ですとか、「苛酷なものと感じたから。」ですとか、「つらいものと分かったから。」などの言葉が使われているということです。
なにしろ、“胸に刺さった”のですから、「心配」「かわいそう」などでは、客観的・他人事・外から見ているだけのような言葉で、切実感が足りません。
やはり、「厳しさ」「つらい」「苛酷」といった“痛み”を伴う言葉が要求されていると思います。
実際、「苛酷」という言葉も含め、「つらい」「厳しい」といった表現も、授業の流れの中で生徒さんたちから出てきた言葉でした。
こうして、生徒さんの発言から、“甘い幻想”の反対表現としての“厳しい現実”といった表現にまで行きつくことができたのです。まさに主人公の少女の心情の変化、認識の変化をとらえることができた、素晴らしい授業展開でした。
生徒の皆さん、クリーン・ヒットでしたよ!
授業は対話。
クラス授業の方が完全個別よりも伸びる、と塾長がしばしば言うのは、ある程度人数がいた方が、こうした文殊の知恵のごとき瞬間が訪れるからなのです。