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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
今回は、芸術についてのお話です。
先日、高校の音楽科に通う塾生と、1910~20年代のフランスの芸術状況について話をする場面がありました。
学校の社会科で第一次世界大戦の時期のプレゼンテーション課題があるのだけれども、どんなテーマがあり得ますか、という質問を受けたので、その一つの答えとして、大戦前後に作られたバレエ音楽について発表してみてはどうかと提案したのです。
他、大戦中にフランス軍の塹壕に世界中から集まる物資のせいでコロナ禍のようなパンデミックが起こっていたことなども興味深いテーマだとは思ったのですが、音楽科のクラスでの発表であるならば、大戦前のストラヴィンスキー『ぺトルーシュカ』(1911)、大戦中のサティ『パラード』(1917)、大戦後のフランス六人組『エッフェル塔の新郎新婦』(1921)などを比較してみるのも面白いのではないか、と考えました。(これらの曲をたとえば《即物性》というキーワードで分析してみると、何か時代なり受容なりの変化が読み取れるのではないでしょうか。)
また、何より、プレゼンを聞いている音楽科の生徒さんたちや先生方にとって、音楽にまつわる話のほうが興味深いのではないか、と。
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塾長は、この時期の芸術状況を、焦点が二つある円(楕円)形に喩えたことがあります。
一つの焦点は、未来派の流れを汲んだダダイスムやシュルレアリスムの存在です。こちらは謂わば絵画を中心とした運動であったと思います。
もう一つの焦点は、サティやフランス6人組といった存在です。こちらは音楽を中心とした運動であったといえるでしょう。
文学は、そのどちらにもかかわっていますが、前者との繫がりではトリスタン・ツァラ、アンドレ・ブルトンら、後者との繫がりではジャン・コクトーやギョーム・アポリネールらが挙げられます。
音楽に特化して話をするならば、フランス・ベルギー系の音楽としてはサン=サーンス、フランク、ドビュッシー、ラヴェルらの次世代、フォーレら、ドイツ・オーストリア系の音楽としてはワーグナー、マーラーの次世代、シェーンベルクら、ロシア音楽ではチャイコフスキー、ロシア5人組の次世代、ストラヴィンスキーらの活躍し始める時代です。
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さらに塾長は、この時代のフランス6人組のメンバーを、それぞれ惑星など(七曜の星)に喩えることも、思いつきました。
・金星は、ヴィーナスゆえ、紅一点のジェルメーヌ・タイユフェール。節度ある、華やかなエスプリ。
・土星は、ドイツ系音楽で最重量級のアルトゥール・オネゲル。重く、熨(の)すような音型の重なりによる彼の音楽は、魂をすりつぶす。
・水星は、もっとも軽量級の、フランシス・プーランク。ともすると軽薄と誤解されがちだが、この軽みと歌心ゆえに、彼の音楽は天使のごとく楽々と空を飛ぶ。
・木星は、ダリウス・ミヨー。ギュスターヴ・ホルストの『惑星』でも木星は“快楽の神”であったが、ミヨーの音楽もまた、ラテン系で陽気そのもの。思わず踊りだしたくなる。
・火星は、ジョルジュ・オーリック。逸早く映画に接近した、その先見の明には脱帽。
・月は、ほかのメンバーとは異なり、終生ラヴェルを好み、合作にも妙に冷静な態度を示したルイ・デュレイ。冷徹で、理想主義者たるデュレイの音楽は、素朴だが、どちらかというと、心でではなく、頭で、聴く音楽。
・そして、彼らの中心に陣どって、太陽気取りなのは、詩人のジャン・コクトー。独楽(コマ)の軸は、動いているようで、まったく動いていない。
……これはなかなか面白いアイディアだと思うのですが、皆さんはいかが思われるでしょうか。
バレエ劇『エッフェル塔の新郎新婦』は、まさにコクトーを囲んでデュレイ以外の5人のメンバーが1920年代の徒花(あだばな)的作品を奇跡的に遺したもの、といえると思います。
実は塾長は目下、この時期のことをまた娘あてのオモシロ小説にしようかと画策中なのですが、はたしてどうなることやら……。