- カテゴリ
皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
今回は、前回からの続きです。
帝国大学2年生の夏目漱石が『英訳方丈記』に付した英文の小論を、塾長は今回初めて熟読しました。
こちらも非常に興味深い!
ちょっと寄り道します。
重要なところは、まず冒頭部(第1、2段落)。要約してみます。
天の才能[genius]による文学作品には全てがあり、それは鏡[mirror]、泉[fountain]、妙薬[elixir]、強壮剤[tonic]のようなものである。凡夫の才能[a talented man]による作品には何もなく、それは蜃気楼[mirage]のようなもので、読み手の精神に何も残すことなく消え去る。
その中間の第3の作品に、熱情[enthusiasm]の作品ともいうべきものがある。これは強い確信のもとに作られた自発的な発露の産物である。『方丈記』はこの熱情の作品にあたり、読み手によっては共感[sympathy]を覚えることがあり得る。
凄いですねえ。大学2年にしてこの語りよう。既に文豪のごとき堂々たる風格。
さらに、自然への態度(第6段落)。
人間嫌い[misanthrope]から鴨長明は脱俗し、慰めを見いだそうと自然へと向かう。しかし、畢竟自然は死んでいる[After all, nature is dead.]ので、人は自然と向き合っても、共感[sympathy]を得ることはできない。ワーズワス[Wordsworth]のように自然のなかにも霊性[spirit]の存在を認識しているのでない限り。つまり、長明は矛盾している。……
なるほど。塾長は気づきました。もしかしたら、この当時の漱石の思考を読み解くキーワードは、《共感》[sympathy]なのではないか、と。
というのも、この短い第6段落には、unsympatheticという語も入れると都合7回もsympathyという単語が使われていて、この語は第2段落の末尾にも第4段落の末尾にも、それぞれsympathizeという形で出てきているからです。
さらには、漱石がロンドン留学時にインド洋上でしたためた英文のメモのなかにも、sympathetic solidity(強固な共感の絆)という文言があったではないですか。この塾長日記の熱心な読者の皆さんならば、覚えていますよね?(塾長日記2023/9/7「洋上の漱石。無限遠点で交わる空と海」参照のこと。)
なるほど。なるほど。
漱石にとって、自然は死んでいる(≒自然は生きているものではない≒inanimate nature)。空と海も死んでいる。だから、生きている自分は決して共感し合えない。共感しあえるとしたら、あのインド洋上の船の甲板の長椅子に怠惰に死んだように横たわった余(≒漱石)のように、こちらも無にならなくてはいけない、ということなのかもしれません。
漱石の自然観、長明の自然観、ワーズワスの自然観、それぞれ随分と異なるようです。
それにしても面白いのは、この三者のなかで自然に対して最も冷徹な眼差しを投げかけている漱石が、英文内では自然のことを《彼女》[she, her]と擬人化していることです(第6段落末尾)。
Harmless she may be, but can never be affectionate !
彼女(=自然)は害をなさぬかもしれぬ。だが、決して情をかけてもくれぬのだ!
……話を『世界文学としての方丈記』のほうへと戻します。
その後、散文である『方丈記』は、イタリア語訳を経由して、イギリス人のバジル・バンディングというモダニズム文学の詩人によって《Chomei at Toyama*1》という英詩へと変容されます(1933年)。世界文学への参入とは、翻訳による解釈の変更や文化的素地の違いによる観点の変化のみならず、こうしてジャンルまでをも変化させていくという例です。ほとんど翻案と言ってよいレベルの変貌を遂げています。大災害の起こった12世紀の京都の碁盤目状の街衢は、20世紀のニューヨークの街衢へと移され、テーマも変化しています。塾長が、原典*2を引いてみます。
*1 Toyama(外山)とは、鴨長明が方丈庵を結んだ京都の日野山(日野岳)の地名。現・京都市伏見区日野。
*2 ここでは、改行がバンディングの英詩の連と完全に一致している便宜上、大福光寺本の影印本とそれを翻刻したものを底本とした光文社古典新訳文庫からの引用とさせていただきます。ちなみに、大福光寺本は大正時代に発見されたものです。
原典
若(もし)まづしくして、とめる家のとなりにをるものは、朝夕すぼきすがたをはぢて、へつらひつゝいでいる。妻子、僮僕のうらやめるさまを見るにも、福家の人のないがしろなる気色を聞くにも、心念々にうごきて、時として安からず。
若狭(せば)き地にをれば、ちかく炎上ある時、その災をのがるゝ事なし。若辺地にあれば、往反(わうばん)わづらひおおく、盗賊の難はなはだし。
又いきほひある物は貪欲ふかく、独身なる物は人に軽(かろ)めらる。財あればおそれおほく、貧しければうらみ切(せつ)也。人をたのめば身他の有(う)なり。人をはぐくめば心恩愛につかはる。世にしたがへば身くるし。したがはねば狂せるににたり*3。
*3 この箇所は、夏目漱石『草枕』の冒頭と語り口が酷似しています。この箇所の最後に「兎角に人の世は住みにくい。」と付け加えてもほとんど違和感がありません。
夏目漱石『草枕』冒頭「山路を登りながら、こう考えた。/ 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」
これが、『世界文学としての方丈記』に紹介されたバンディングの《Chomei at Toyama》では、こうなります。
原文
The poor man living amongst the rich
Gives no rowdy parties, doesn’t sing.
Dare he keep his child at home, keep a dog?
He dare not pity himself above a whisper.
[…]
If he lives in an alley of rotting frame houses
he dreads a fire
If he commutes he loses his time
and leaves his house daily to be plundered by gunmen.
The bureaucrats are avaricious
He who has no relatives in the Inland Revenue,
poor devil!
和訳(塾長試訳 東京version)
貧乏無理して山の手住めば
歌も踊りもお酒もやらず
子育てできるか、ペットは飼えるか
声をひそめてかこち顔
柱の腐った長屋に住めば
火事が一等怖いもの
通勤通学、時間の無駄よ
家が留守なら、空き巣は万歳
官僚どもは、お手盛り放題
霞が関に縁者がいなけりゃ
……嗚呼、みじめ!
ここに挙げた第3連目は、とりわけ原典とかけ離れていると分かるかと思います。プラダン・ゴウランガ・チャランも指摘していますが、鴨長明の意思とは関係なく、バンディングの当時の社会の不公平に対する異議申し立てという思惑だけが、表に出ているような気がします。
このように、世界文学になるということは、それによって新たな創造の可能性の地平へと我々を連れていってくれる面や、幅広い読者層を獲得できるという面もあると同時に、本来の作品の意図が改竄されたり価値を棄損されたりする面もあり得るということです。
とはいえ、イギリス人によって、イタリアからニューヨークへ。まるで、シェイクスピアによって中世イタリアの街ヴェローナを舞台に描かれた『ロメオとジュリエット』が、海を渡って20世紀のニューヨークで『ウェストサイド物語』に変貌したように、こうした翻案・変容作品に関しても、それぞれの作品がそれぞれの輝きを持って自立しているならば、おそらく問題はないでしょう。
いずれにせよ、これを機会に塾生の皆さんも日本が世界に誇る古典『方丈記』を読んでみるといいと思います。塾長も、中高生の頃に初読しました。短いので、あっという間に読め、かつ、古文の勉強にもなるので、おすすめですよ。
そして、さらにこの『世界文学としての方丈記』も読んでいけると素晴らしいですね。何ヶ所か誤植があったのは玉に瑕でしたが、そんなことでは決して価値が損なわれないほどに、間違いなく画期的な、惚れぼれするような一冊です。