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世界文学としての『方丈記』Vol.1

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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。

 

読書週間も終わり、塾生および親御さんにおかれましては、有意義な読書体験ができたことと思います。ぜひ塾長あてに体験談等をお聞かせください。

 

さて、塾長はここ1,2週間、素晴らしい本と出会い、嬉しさと喜びをもって、巧緻な文章との格闘を愉しんでいました。

 

 プラダン・ゴウランガ・チャラン著

 『世界文学としての方丈記』

                (法藏館)

 

日本で研究をしているインド人の日本文学研究者による、自身の論文を補筆したものや本書のために書き下ろしたものを集めた論集です。

詳細な先行研究の紹介と、真摯な考察の成果が、本人による流暢かつ緻密な日本語で連綿と書かれています。

 

内容が、兎に角、心躍ります。

あの鴨長明『方丈記』が、どのようにして“世界文学”となったのか。

世界『方丈記』にどのようなを当ててきたのか。

そうしたことを、夏目漱石ディクソン英訳、南方熊楠ディキンズ英訳などを中心に、逐一つまびらかにしていこうとする、ほとんど史上初の本格的な試みなのです。

 

え? 心躍りませんか?

 

塾長は最高に心躍るのですが。

 

というのも、塾長はすでに、この夏目漱石英訳の『英訳方丈記』(1)と、南方熊楠ディキンズ英訳の『方丈記 12世紀の日本のソロー』(2)の、それぞれの冒頭部分を比較して、娘(当時小6)宛てに作ったオモシロ小説のなかで使っていたからです。(塾長日記2022/8/21 「鴨長明から、漱石・熊楠へ」参照のこと。)

以下に二つを並べて示します。漱石のほうはやや硬い英語熊楠のほうは擬古文調の英語と思ったので、意識して訳し分けてみました。どうぞ、英文も和訳も音読してみてください。

 

(1)

Incessant is the change of water

 where the stream glides on calmly:

the spray appears over a cataract,

 yet vanishes without a moment’s delay.

Such is the fate of men in the world

 and of the houses in which they live.

 (K.Natsume : A Translation of Hojio-ki*)

 

已(や)むことの無きは、これ河水の変化なり、

 その流れたるや、いと平らかに滑りたるも。

勃興しやがて寂滅するは、これ波頭の飛沫なり、

 束の間たりとて、滞ることも知らず。

かくの如きは、これ世の人の宿命(ならい)、

 人の世の宿命(ならい)もまた。

(夏目漱石:『方丈記の翻訳』より)[塾長試訳]

 

(2)

Of the flowing river

 the flood ever changeth,

on the still pool

 the foam gathering, vanishing, stayth not.

Such too is the lot of men and

of the dwelling of men in this world of ours.

(Minakata Kumagusu : A JO-SQUARE HUT*)

 

流れている川の水は、

 常に入れ替わっているものなり。

停まっている溜まりで、泡(あぶく)は、

 膨らんでは、消え失せ、滞らぬ。

この我らが世界における人々の宿命や、

 住まいの宿命もまた、そのようなものなり。

(南方熊楠:『一丈四方の小屋』より)[塾長試訳]

 

*1 正確な英文のタイトルは《A Translation of Hojio-ki with A Short Essay on It》

(『方丈記の翻訳 付:それに関する小論』)[1891年] 漱石の単独訳。小論も単独の著作。

*2 正確な英文のタイトルは《Hōjōki:A Japanese Thoreau of the Twelfth Century》NOTES FROM A JO-SQUARE HUT

(『方丈記 12世紀の日本のソロー』付:『一丈四方の小屋』よりの注記)[1905年] 熊楠とディキンズの共訳。注記は熊楠の単独の著作。

 

本書によると、驚いたことに、世界文学としての『方丈記』は、従来日本国内で捉えられていたような隠者(隠遁生活者)文学仏教(無常観)文学災害(大地震・大火事)文学としての側面からではなく、汎神論的な自然観の持ち主であるワーズワスらと比すべき、ロマン主義的な自然文学の作品としての側面からのアプローチが主流となって受容されていったとのこと。

そして、その側面を採り上げた嚆矢が、当時帝国大学2年生だった夏目金之助(夏目漱石)の小論であったとのこと。

大雑把に言ってしまえば、この捉え方は、漱石の英語の先生であったディクソン熊楠の共訳者であったディキンズらにも継承された観点だそうです。

 

吃驚ですね。世界文学としての『方丈記』の読まれ方は自然文学としての側面が優位で、その読まれ方の大枠を、実は漱石が作っていたとは。

 

塾長は、慌てて、漱石『英訳方丈記』に付記されていた、『方丈記小論』の英文を繙きました。

(次回へ続く)

 

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