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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
ここ、信州も梅雨入り。塾の建物のすぐ脇にあるジューン・ベリーも色づいてきて、雨にもかかわらず、野鳥が実をついばみに来ていました。
さて、前回に引き続き、今回も国語の話です。
短文ですので、お付き合いください。
中学生の国語、短歌の学習でのことです。
斎藤茂吉の短歌のなかに出てきた「白桃」。わざわざ「しろもも」とルビが振ってあります。
鑑賞者・馬場あき子は、ふつうは「はくとう」と読む語をあえて「しろもも」と読ませているところに、茂吉の愛着の深さを見ています。
「学びの庭」で使用している問題集に、この点を記述形式で説明しなければならない読解問題がありました。
そのことには、何の問題もありません。
生徒さんが間違えても、それも、構いません。解説を聞いて、考えながら直していくなかで、学んでもらえればいいのですから。
問題は、(解説をしているなかで塾長は気づいたのですが)、複数の生徒さんたちにおいて、基本的なものを見る目や感受性の大前提が、きちんと育っていないかもしれないということです。
(解説時の板書)
「白桃」
「ハクトウ」…(音読み)…論理的文章などで多く用いられる漢語で、傾向として、客観的、一般的、かたい語感、冷たい印象がある。
「しろもも」…(訓読み)…情緒的文章などで多く用いられる和語で、傾向として、主観的、個人的、柔かい語感、温かい印象がある。
この説明に即座に得心して首肯できる感受性が育っていないのです。
「そう? よく分からないなぁ…」と言うようでは、まるで文化を持っていないかのようですよ。
(実際はっきりとそこまで言った生徒さんはいませんでしたが…。)
そこで、すかさず、もっと分かりやすい具体例を挙げました。
たとえば、「故郷」。
これを「コキョウ」と読むのか、「ふるさと」と読むのかで、ずいぶんイメージが違うよね、と。
この説明には、それまでキョトンとしていた生徒さんにも、すぐにうなづいてもらえました。本当の納得なのかどうかは、目を見れば分かります。よかったです。回路さえ通じれば、きちんと感じる心が育っているのだということが、はっきり分かりました。
生徒さんも、私どもも、日々、こうした一つひとつの確認と学びの積み重ねで頑張っております。親御さんもぜひお子さんの感受性を濃(こま)やかに刺激する良質の環境をご家庭で整えてあげてください。
※余談ですが、塾長は初めてこの信州の地を訪れたとき、桃のたわわに実った畑の木々の美しさに心を奪われました。昨日のことのように覚えています。
桃の葉の濃い緑色と、桃の実の強い紅色。
生命力と豊かさと美しさを、まるで一幅の日本画でも眺めるかのようにして鑑賞してしまいました。おそらく信州は塾長にとって第二の故郷となっていくのでしょう。こうした豊かな自然への感嘆の思いとともに。