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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
今回は、前回からの続きです。
②Più mossoにジャズとスウィングが聴こえる。
Hr.「噫(ああ)、何故(なにゆえ)に人間の生とは、かくも苦悩と憂愁とに満ちているのであろうか」
Ob.「いいえ。顔を上げてください。人間の生は、喜びと光に満ちています」
Hr.「喜びと光に? いや、本当にそのようなことがあるであろうか」
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ホルンとオーボエの繊細な掛け合いに始まった第2楽章は、66小節Moderato con animaから、4分の4拍子に変わります。9連符を装飾音のように連ねたソロが、クラリネット、バスーン、オーボエと引き継がれていきます。恋人は青年のために幾度となく歌を歌い、バレエを踊り、おとぎ話を聞かせるのです。
ティンパニと金管楽器で盛り上がった先の99小節Tempo precedenteからは、登山者が山頂で上げる雄叫びのようなファンファーレ。トランペット他ほとんどの楽器が、一斉に第1楽章冒頭と同じ《運命の主題》を奏で、2つの音(4分の4拍子の8分音符2つぶん)でそのフレーズを閉じます。その間を縫ったバスーンと3rdトロンボーンの対旋律のフレーズは3つの音(4分の4拍子の4分音符ぶんの3連符。8分の12拍子ならば8分音符3つぶん)となって現れます。青年と恋人は、運命によっても、2つに引き裂かれています。
108小節Tempo Ⅰからは再び8分の12拍子に。と同時に、4分の4拍子の記譜も。というのも、弦のフレーズでは拍に3つずつの音が入っているのに対し、木管楽器のフレーズでは拍に4つずつの音が入っているからです。このように弦と木管がそれぞれ別の拍動(パルス)で推移しているのと同様、青年と恋人も、それぞれ別の息遣いで、別々の世界に住まっています。互いの声こそ聞こえていても、姿を見ることは叶わないのです。
……と、要するに、この楽章は、拍に3つ入るのか拍に2つ(ないし4つ)入るのかの、あるいは、青年の孤独と恋人の解きほぐしの、せめぎ合いなのです。最終的に二人は相まみえ、互いに手と手を取り合うことができるのでしょうか。
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128小節目Più mossoでは、弦と木管の役割が逆転します。弦が4分の4拍子に、木管が8分の12拍子に変わります。
そして、ここに面白いことが起こります。スコアを見て、初めて気づきました。
ホルンだけ、なぜか、1小節遅れて8分の12拍子の動きから4分の4拍子の動きに変わっているのです。なぜなのでしょうか。
(たしかに、それ以前から木管群に4分の4拍子と8分の12拍子の記譜が入り乱れて見られます。3音の動きは8分の12拍子で示したかったのかもしれませんが、ここのホルンに関しては、その後の実質同じ動きをしている132小節のように、4分の4拍子で3連符として記譜してもよかったのではないでしょうか。)
そもそも、このPiù mossoは、聴いていて、実に特異な箇所です。というのも、チェロとコントラバスがまるでジャズのウッドベースのようにビートを刻んで、ホルンが半拍遅れのシンコペーションであたかもスウィングするかのように横揺れを起こしているからです。
この異様な世界は何なのでしょうか。ほんの数小節の間、チャイコフスキーの音楽が、全く違う浮かれた音楽に聞こえるのです。たしかにニルセンの交響曲などにもこうしたジャズのベースのコード進行を思わせる動きがありました。しかし、よもや、チャイコフスキーの5番にもこんな要素があったとは。
どう解釈したらいいのでしょう。いえ、解釈はいろいろと考えられます。ここで塾長が一つの解釈を語ってしまうには惜しいくらいの特権的なパッセージだと思います。皆さんも、ぜひ面白い解釈をしてみてください。
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こうして、以下、狂おしいまでの葛藤と紆余曲折を経て、153小節のƒƒƒƒ(トロンボーン、テューバ、ティンパニはƒƒƒ)を最大の山場とし、その後、トランペットとトロンボーンの拍動も反転交換され、全部で184小節のこの楽章は静かに幕を下ろします。結論ともいうべき最後のƒƒƒによる盛り上がり(164小節と、165小節・4分の4拍子の1拍目)におけるトゥッティの
⌈3⌉ ⌈3⌉ (2) (2) (2)
♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪ ♪♪ Ι ♪♪
が、全てを物語っているといえるでしょう。最後の6つの音には、アクセント記号が付いています。
青年(3音の動き)は、恋人の言葉(2音の動き)を力強く肯定するのです。
「噫! たしかに人間の生は、喜びと光に満ちている!」
……長くなりました。今回はここまでと致しましょう。