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漱石《汽車論》の汽車は、何のメタファー?

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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。

 

今日は、通常授業を特別に振り替えていただき、長野市で開かれていた夏目漱石に関する講演会を聴きに行ってまいりました。

 

『三四郎』の「亡びるね」が生まれるまで―原稿の直しから見える漱石

  秀明大学客員教授 長島裕子先生

 

とても実りの多い、面白い内容でした。

塾長は『三四郎』の本文を再再読して臨みましたが、講演は冒頭部の汽車の場面を中心にしたものでした。

読み切れていないところ(冒頭の身体性、水蜜桃で親密になったという漱石一流のギャグ、etc.)や、明治時代の細かな状況(新聞連載の事情、森鷗外との比較、大学の制度、馬券の販売期間、etc.)の説明など、多岐にわたり、さまざまな発見と気づきがありました。

読み達者な先生の読解は、流石!、と唸らされること頻りでした。

 

 

塾長が思うところのある箇所に関して、1点だけ、以下に挙げたいと思います。

 

講演では、「亡びるね」に至る過程が、天理大学付属天理図書館の資料(生原稿のフォトコピー)で示されて、解説が加えられました。

元々は、

気を付けないと亡びるかも」(下線引用者)

と書かれたものがあり、それが抹消されて、

亡びるね(下線引用者)

となっていることが明らかになりました。

 

これは塾長には胸躍る情報でした。

 

というのも、塾長の大好きなあの有名な『草枕』末尾付近に記された汽車論には、はっきりと、

「あぶない、あぶない。気を付けなければあぶないと思ふ。現代の文明は此あぶないで鼻を衝かれる位充満してゐる。」(下線引用者)

とあるからです。

 

塾長は、広田先生の「亡びるね」は、『草枕』の「あぶない」とつながっていたともいえるのではないかと思いました。『三四郎』のこの汽車の場面内の少し前でも、広田先生はレオナルド、ダ、ヴィンチの話を挙げて、「危険(あぶな)い。気を付けないと危険い。」と言っています。

 

整理します。

 

「気を付けなければあぶない」

          (『草枕』の汽車論)

 ↓

 

「気を付けないと危険い」

  (『三四郎』のダ・ヴィンチに関する記述)

 ↓

 

「気を付けなければ亡びるね」

  (『三四郎』「亡びるね」の、当初の記述)

 ↓

 

「亡びるね」

  (『三四郎』「亡びるね」の、変更後の記述)

 

 

これらが繋がったことが、大きな収穫でした。

 

 

塾長はすでにこの夏目漱石『草枕』の汽車論の箇所を用いて、小説『塾屋マナティー堂の(非)日常 その3 ~世界文明の起源は信州にありや?~』の中で、《汽車》を《現代文明》の具体例であると同時にメタファーであるとして取り上げています。そこでもすでに述べていますが、

 

現代文明とは、個人や個性を伸長しようとする一方で、画一的に一方向へと進んでいこうとする、矛盾を孕んだものである。

 

と、漱石はこの汽車論で表現していると、塾長は主張します。

 

ですから、申し訳ありませんが、今回の講演会で、質疑応答の時に発言した方の捉え方、(『草枕』も『三四郎』も区別なく)《汽車》《国家観》《ナショナル・アイデンティティー》のメタファーと捉えた(と思しき)考えとは、おそらく塾長の考えは一線を画します。

少なくとも、読めばわかりますが、『草枕』の《汽車》の箇所は、たしかに『草枕』でも『三四郎』と同様日露戦争のことは語られてはいますが、決して《国家》《ナショナル・アイデンティティー》のメタファーではあり得ません。はっきりと、《二十世紀の文明》《現代の文明》と書かれているからです。これは、《形成されつつある近代日本国家》といった日本の歴史的脈絡に限定された狭い意味でのメタファーではなく、西洋文明も含んだModern(近現代)の文明そのもののメタファーであると申せましょう。

 

『草枕』の《汽車》論は、二十一世紀の今でも通用する文明論なのです。

それをあの画工の青年は、茶店で草餅を頬張りながら考えているのです。(おそらくこれも漱石ギャグ。)

 

それが『三四郎』では、日露戦争の勝利に酔いしれている能天気な三四郎の状況の描出のなかで、広田先生の「(日本も)亡びるね」の発言に変化していったものと思われます。

 

私見ですが、広田先生が言うように富士山はたしかに日本人が拵えたものではないけれども、日本人は富士山を大いに自慢してよいと思います。それは、たとえば、そもそも日本という国家そのものが、フランスやアメリカ合衆国のような、他の人工国家とは違って、自然国家(建国がいつと近代的発想からは判然とは言いづらいくらい古くから成立していていまも存続し続けている自然発生的な国家)であるというようなことと相通じると思うからです。ですから、なにも、広田先生の開陳するような、自分たちが作ったから自慢できるという論に、私たちはみすみす乗っかる必要はないでしょう。日本の価値を測る私たちの物差しは、西洋の近代的尺度とは異なるのです、と言えばいいだけのことです。これは「贔屓の引き倒し」「卑怯」なのでしょうか。塾長は、そうは思いません。

それに、これは想像ですが、あの超然としている広田先生ならば、おそらく、日本人が浮かれているときには「亡びるね」と言い、日本人が意気消沈しているときには「亡びないね」と言うのではないでしょうか。自分が帝大の教授になろうがなるまいが、我関せずの広田先生です。さもありなんと思うのは、決して塾長だけではないでしょう。

 

……ああ、尽きることがないので、このあたりで止めにします。

最後に一つだけ。今回、素朴に驚いたのは、三四郎が九州から東京まで来るときに被っていた《徽章をはずした学帽》が、夏帽の《麦わら帽子》だったということでした。現代の我々の多くは、知らず知らずのうちに勝手なイメージで読んでしまっているようですね。塾長もその一人でした。最後に付け加えておきます。

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