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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
いま、ここ信州・小諸は、激しい雷雨です。
…驟雨だと思いますが、皆さん、お気を付けください。
さて、久しぶりにまたイタリア文学に触れてみました。
ちょっとR18指定かもしれませんが、語ってみます。
ディーノ・ブッツァーティ:『石の幻影』。
Dino buzzati : Il Grande Ritratto (1960)
大久保憲子訳 河出書房新社刊(1998)
物語は、エルマンノ・イスマーニ電子工学教授が、第36軍区にある研究施設へ二年間夫婦ともども行くように依頼されるところから始まります。
しかし、そこはどんな施設なのか、そこでどんな研究をするのか、何を目的としているのか、……そうしたことは関係者たちのほのめかしとはぐらかしの言動によって、いつまでたっても明らかにされません。にもかかわらず、二人は依頼を飲むことを決め、施設へと車で向かいます。
……まるで、フランツ・カフカの『城』のように、いつまで経っても城の全貌は見えてこないし、城の内部に入ることさえ叶わない、という不条理文学のような内容です。
前半は、ほぼそんな感じです。
しかし、後半、テクセル―ダ渓谷にある不可思議な研究施設に着くと、そこで出会ったこの研究施設のチーフ、エンドリアーデによって、イスマーニ夫妻の二人はすんなりと施設の内部へと案内されます。
実はこの施設は、抉れた峡谷の全体が無数の立方体の建造物で覆われた、曰く言い難い、城砦施設なのでした。そして、その施設自体が、人間を模したロボット、コンピュータ、人工知能、“我らが家族”なのでした。しかも、それはエンドリアーデの亡き妻ラウーラ(ラウレッタ)をかたどったものだったのです。さらには、イスマーニ教授の妻エリザは、実はそのラウーラと昔ルームメイトだったのでした。……
事件は、ストロベッレ技師の若い妻オルガ(赤い髪、雀斑のある白い肌、切れ長な目、官能的で挑むような唇、挑発するような満ち足りた顔、ほっそりとした腰、すらりと伸びた足、要するに、道を歩いていると誰もが振り向くような美人)が、ある天気の良い日、峡谷の流れに裸身で水浴びをしたことから起こります。夫はすぐに着衣するように言うのですが、妻は「誰も見ていないわ」と、無邪気にそれを拒否します。そして、あろうことか、施設の壁に、自分の裸身を見せつけ、自分の若くはちきれんばかりの乳房を押し付けたのです。
どうやらこれが施設の人工知能ラウーラの嫉妬心を煽ったようです。そして、……。
……そのあとは、どうぞ皆さんが実際に読んでみてください。
現代の問題にも通じる「人工知能と人間」について、考えることができるかもしれません。ことによっては、テーマをこう言い換えてみてもいいかもしれません。
「人工知能は、人類をどれだけ巧みに騙せるか」。
人間性とは何かということを問うとき、類人猿(人間ほどうまく言語や道具を使えない存在)や、コンピュータ(計算や記憶が得意な存在)と比べて事足れりとできた時代は、とうの昔に過ぎています。今や、人間性とは、人工知能の能力(思考も芸術的創造も感情表現も得意な存在)と比較する中で位置づけられる卑近なものに成り下がってしまっているのです。恐ろしいことです。人工知能にできなくて、人間にできることとは、いったいどんなことなのでしょう。嘘をつくことや人を騙すことでさえ、人工知能は楽々とやってのけることでしょう。
人間というこの卑近で矮小な存在。そこに何らかの意味を見出しうるのもまた人間であると信じたいものです。