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皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
最近、ロシア文学の雄・ドストエフスキーの長編小説『ステパンチコヴォ村とその住人たち』(1859)を光文社古典新訳文庫で読みました。
ステパンチコヴォ。…面白い響きですね。
中高生の頃『罪と罰』を夢中になって読んで以来、『貧しき人々』『白夜』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』等、ドストエフスキーの代表作はあらかた読んでしまいました。彼の小説は、長くなればなるほど面白くなるような気がします。皆さんは、いかが思われるでしょうか。
『ステパンチコヴォ村とその住人たち』は、他の彼の長編小説の長大さから見れば、文庫本1冊、500ページほどですので、ごく短い部類のほうといえるでしょう。
流刑地にて書かれた前期の作品とのことですが、早くも“ドストエフスキー節”とでもいうべき特徴がそこここに表れていて、大いに楽しめました。
まず、人物造形(類型的戯画化)の振れ幅の大きさ。
余りにも尊大な居候・フォマー=フォミッチと、余りにも純朴に過ぎる地主・イリイチ=ロスタネフ。性格・性質が超弩級にデフォルメされて描かれているので、分かりやすくユーモラスな雰囲気のなかで読めます。
また、思わせぶりの振りかぶりの大きさ。
ただ一同の者たちが会するだけで、あるいは、フォマー=フォミッチという食わせ者が現れるだけで、(読者にとっても、登場人物たちにとっても)一大事件となるのは、まさにドストエフスキーの筆の力による賜物です。
そして、良くも悪くも「人間的真実」を抉り出す、愛憎というこの古びることのないテーマ。
翻訳者・解説者の高橋知之氏をしてこう言わしめるところの《世界文学史上最高レベルに憎ったらしいキャラクター》・フォマー=フォミッチを前にして、あるいはまた、地主のくせに優柔不断で意気地のないイリイチ=ロスタネフを前にして、我々読者は「地主のロスタネフは、こんなペテン師のイカサマ師の似而非カリスマの文無し居候のモモンガ―は、さっさと追放してしまえばいいのに」とつい思ってしまいます。
こうして、読者はドストエフスキーの術中にはまってしまうのです。
だからこそ、雷鳴轟くクライマックス(う~ん、完全にメロドラマですね……)とその後の大団円は、見ものです。
小説という作り物で、人間の真実が描き出される、……古典の古典たる所以でもあります。
さて、本作は家庭内の揉めごとを描いたたった2日間の物語でしたが、これがのちの『カラマーゾフの兄弟』などでは、天下・国家・革命・陰謀といった巨大な権謀術数の世界へと、ドストエフスキーの筆の領域は大きく広がっていくことになります。
今日は文化の日。
塾生の皆さんも、少し背伸びをした古典的名著を繙いて、自分に引き寄せて楽しんでみるのも良いかと思います。