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漱石作品の後日談を創作するという、前代未聞(?)の傲岸不遜(?)な試み……。
皆さん、こんにちは。学びの庭・塾長の柳です。
皆さんはご存じでしょうか。(おそらくはご存じないでしょう。)
熊本で夏目漱石を顕彰する文学賞、SOSEKIチャレンジングアワードというものが行われていることを。
漱石のいくつかの作品の後日譚を原稿用紙5枚程度で創作したものを、審査会場で朗読してもらい、グランプリ、準グランプリ等を決めるというコンテストです。
塾長も、漱石作品はほとんど読んでいますので、何となく、そぞろ書きで書いたものを応募してみました。
すると、総応募数200余作のなかから、一次審査をみごとに通過し、本選出場を決めてしまいました。
その段階で、入賞決定。最終選考には13作が残っていましたので、上位6パーセントに入ることができたということになります。
(自分に)おめでとう!
朗読されるとまた味わい深いものがあり、なかなか面白い試みだったと思います。
YouTube上で、ものすごく再生数の少ない(悲…)動画が公開されています。
講評で塾長の作品(『道草』後日譚)は、
「『片付く』ということを軸に上手にまとめられていました」
とコメントしていただきました。正当に読んでいただけて、嬉しく思っています。(もう少し推敲をして、聴き手に伝わりやすい文章にしていたら、あわよくばグランプリも狙えたのではないか、何となく、大した思い入れもなく応募してしまったのが悔やまれる……などと、不遜にも、思っています。)
中高生の枠もあったので、塾生だって、応募したらグランプリが狙えたのですよ。
審査員長である半藤英明熊本県立大学教授の話も、至極まっとうで、大変に重要なことを語ったものでした。
すなわち、「AIが創作をしてしまう時代にあって、そうしたものの力に頼るのではなく、自分の力で一つ一つ言葉を紡ぎあげて作っていった世界が目の前に広がることの喜びや感動こそ、かけがえのないものであるのです」、という内容の話でした。
まさにその通り。慶応大学文学部の小論文で話題になった、「人間にとって、本を読むということはどういうことか」という問いに対する塾長自身の解答、「読書の意味は、知識が身について役に立つ、他者の感情が理解できてより良い行動がとれる、などという功利的な次元にあるのではなく、より高次な、それ自体が人生にとってかけがえのない感動の体験なのである」、といったこととも通ずるように思います。
何にしろ、皆さんも、たまには上質な文学にひたってみるのもいいのではないでしょうか。
その点、夏目漱石の作品は、そうした《より高いもの》を求める読者を裏切ることは決してありません。(それでいて、さらには、初期の作品群『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『草枕』などでは、特にユーモアもたっぷりと感じとることができます。)